ヨットの帆を生まれ変わらせてみたら—。 【Colmun- 潮気、のようなもの】
朝、ひと仕事終えてから愛犬と散歩に出かけるのが筆者の日課だ。最近、その散歩用のバッグを変えた。犬のオモチャやペットボトルの水、おやつを入れるのに少し大きめだけれど、シンプルで頑丈なショルダーバッグで、それを襷《たすき》掛けにして出かけている。物の出し入れがしやすくて、身体にほどよい感じでフィットする。けっこうオシャレだと思っていて、とても気に入っている。不要になったヨットのセールを利用してバッグなどを作って販売している〈Re Sail Factory(リセイルファクトリー)〉のワークショップに参加して、75%ぐらいは自分で作った。
そのワークショップには、取材で様子を見に行くだけのつもりだったのに、気づいたらミシンの前に座っていた。〈リセイルファクトリー〉の人たちが要するに魅力的なのである。彼女たちの説明に耳を傾けているうちに自分でも作ってみたくなってきた。
ミシンを使うのは小学校の家庭科の授業以来だった。普通の布とは異質なヨットのセールを相手に苦戦するのではないかと不安だったけれど、このミシンの針は負けなかった。スムーズに動いてしっかり縫い上げてくれる。戸惑ったときは“縫い子部長”の加川さんが手を少し貸してくれた。そして、75%の自作バッグできあがった。「15」という、緑色でプリントされていたセールナンバーの一部が見える。遠慮して、参加者全員が選び終わった最後に余ったセールクロスを使った割には、いい感じだ。
材料となったセールは、FJクラス(主に高校のヨット部で使われているヨット)のセールだったのだと教えてくれた。
できあがったバッグを改めて手にして思った。かっこいい!それに、けっこう楽しい! 率直な感想だ。知らない人から見たら、このバッグがどんな布から作られているのかわからないだろう。でもバッグから放たれる独特の潮気だけは、散歩ですれ違う人にも伝わるような気がしている。
ヨット乗りたちのサポートがなくては成り立たない
〈リセイルファクトリー〉の主宰者・田上亜美子さんは、セーラーだ。J-24というワンデザインのキールボート(どちらかというと大型の部類に属する、船底に重りの付いたセンターボードを有するクルーザータイプのヨット)でレースに参加していた時期があった。
「2000年にJ-24の女子の全日本選手権で優勝した直後、古いセールを処分することになったんですけど、そのとき“なんだかもったいないね。そういえばセールクロスを使ってバッグがつくれるんだよね”って話になって。それが最初。はじまりでした」
とはいえ、「もともとミシンなど苦手だった」と田上さんは笑う。ワークショップで筆者のバッグづくりに手を貸してくれた加川さんは、そのころからのパートナーで、工業用ミシンの扱い方や、縫い方を田上さんに教えてくれた。今回のワークショップの会場となっていたミシン販売店も加川さんが紹介してくれたのだという。いまの〈リセイルファクトリー〉の広がりには、人との出会いやつながりが、とても重要なファクターとなっている。田上さんのお話を聞いていて、それがわかった。
「はじめた当時、セールクロスのバッグは一部のセールメーカーで販売もされ、認知もされていました。そして、その分野の老舗でもある国内のセールメーカーの社長さんは嫌な顔をすることなく、本当に親切に色々なことを教えてくれたんです。そういうこともあって、リセイルファクトリーでは絶対に新しいセールクロスで商品をつくらないと決めています。あくまでも不要になったセールを使う。でも最初のうちは材料となるセールを手に入れるのに苦労しました」
要らないセールがあると聞けば、田上さんは行ける範囲でマリーナやヨットハーバーまで自ら受け取りに行く。ときには“このセールがこんなバッグになるんですよ”と、サンプルをプレゼントしてくることもある。
長年使い込まれたセールは痛みが激しく、バッグの素材として活用できないこともあるが、それでも感謝しながら、必ずもらって帰ってくる。決して断らない。何年も続けてきたそんな行動を好ましく思わない者はいない。〈リセイルファクトリー〉の存在は、多くのヨット関係者の間に口コミで広がっていった。いまは、素材となるセールが不足して困ることはなくなったが、それでも感謝の気持ちを忘れることなく、相変わらずセールは自分で受け取りに行く。
「最近になって、“素材となるセールを売ってくれないか”と自分たちでも商品化したいという企業さんに相談されることがあるんですけど、それはお断りしています。タダでいただいた物に値段をつけるわけに行かないでしょ。それをやったらヨット仲間として道義にもとるじゃないですか。それにお金を出して直接ヨット乗りから中古のセールが買えるかというと、そう簡単じゃないと思うんですよ。使わないセールをお金で買いたいなんて言おうものなら、かえって気分を害するような、どこか偏屈で、愛すべき素敵な人が多い気がしています(笑)。私たちは、そうした素敵なヨット乗りたちの助けがなくては、何もできないんです」
〈リセイルファクトリー〉に集まってくるセールには、いわゆる「プレミア」が付くような物もある。世界で最も過酷といわれる世界一周レースを走ったヨットのセール、世界最高峰と言われる至高のヨットレースで使われていたセール、名の知れた国内のトップセーラーが使用したセールなど。そんなセールでも、田上さんは他のセールと同じように扱い、同じようにはさみを入れ、同じようなバッグを作っていく。もちろん値段も変えない。お客さんにも基本的には知らせない。
「繰り返しますけど、材料はタダでいただいているセールですから。それらにこちらが値段を変えてつけるのもおかしな話ですし、皆さんに失礼ですよね。価格設定は工賃で、それは変わらないんですよ。それに、そういうセールより、たとえばスナイプ(大学ヨット部や社会人で使用されている小型ヨットでセールに鳥のマークがついている)のセールで作られた物の方が、一般のお客さんからは“かわいい!”なんて、とても喜ばれたりするんです」
地域社会にも広がっていくヨットのセール
趣味のようにして始まった田上さんの〈リセイルファクトリー〉だったが、特にここ3年ほどで急激に忙しくなってきた。
「コツコツやっているうちに、マイクロプラスティックの問題だとか、SDGsだとか、サステナブルだとか、なんだか周りが騒がしくなってきて、古いセールを使って新しい物を生み出す“アップサイクル”という仕事の内容が、意図せずそんな風潮にマッチしたみたいです。いろいろなところから取引の話が持ち上がってきました。アパレルメーカーの直営店でワークショップを開催したり、百貨店でポップアップストアとして出店したり。生産が追い着かなくなるところでしたが、コロナでうかうか外出もできなかったし、ヨットにも乗りに行けなくなっていたので、いつも手伝ってくれるご近所の女性たちとアトリエに集まって、忙しい中でも楽しんで製品を作り上げていきました」
その忙しさのなかで、新たな出会いが生まれ、〈リセイルファクトリー〉の社会的価値を高めるような出来事もあった。障害者の就労支援施設との出会いもその一つ。
「セールが増え、扱いきれずに困っているときに、障害者を家族に持つセーラーの方が紹介してくださったんですが、なかなか扱いの面倒なスピネーカー(スピン=ヨットで追い風の時に使う軽量な薄い帆)の裁断を、就労支援施設に仕事として発注しています。たしかにスピンを切るのは面倒なんですよ。でも、柔らかいので普通の家庭用のハサミでできるし、型紙に合わせて切っていく作業なのでお任せできます。とても安く請け負ってくれているのですけど、それでも他の仕事の倍以上だといって喜んで引き受けてくれているんです。こちらが恐縮してしまいます」
そして就労支援施設で裁断したスピンのクロスを使ったバッグの縫製は、高齢者の洋裁サークルのグループが請け負ってくれることになった。
「最終的には小さくたためるショッピングバッグになるんですけど、皆さん、本当に上手で驚きます。障害者施設で切ってくれた、いろいろな色をしたスピンのクロスを組み合わせて、縫い合わせてバッグに仕上げてもらっていますが、その組み合わせ方などセンスが驚くほど良くて。もちろん、ときどき“この組み合わせはちょっと”と戸惑うことがあっても(笑)、それが思わず人気になったりするんです。高齢者の皆さんも障害のある方も、自分の手が加わった物がどのような製品になるのか、それを感じながら取り組めるのもいいみたいで」
ここでは、個人事業主が楽しみながら仕事を進めているうちに、ミニマムな規模でSDGsのいくつかの目標が達成されているのだ。
「本当にみんな上手だよね」
「すごいんだよね」
「イキイキとやってくれてるみたいだよね」
田上さんと加川さんはショッピングバッグを縫ってくれるお婆ちゃんたちの様子を楽しそうに教えてくれた。
ワークショップが日本中に広がっていくのが夢です
これから〈リセイルファクトリー〉はどのようになっていくのだろう。田上さんはどんなブランドにしたいのだろう。
「私たち、最初のころは(自分たちの自宅がある)藤沢で、セールで作った“海っぽい”バッグがちょっと知られて、地元の人たちに使ってもらえればいいね、って。私たちの家がある白旗(藤沢市内の町名)をもじって“シラハターゼ”に人気のバッグになればいいよ、と思っていたんです。そして、その目標はなんとなく達成されました。今は“ふじさわ観光名産品”にも認定されているんですよ」
「そうですね、これからはワークショップが日本中に広がっていったら楽しいだろうなって思っています。そして障害のある方、高齢者の方、地元の奥様などと、身近な人たちと一緒にやっていけたらいいですよね」