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祭りに沸いた、小さな港町。 【Column- 潮気、のようなもの】

 「三大なんちゃら」が好きである。
 海や船にはまったく関係ない話だが、「日本三大うどん」を挙げられる読者の方はいるだろうか。稲庭うどん、水沢うどん、讃岐うどん。というのは最終的には私が決めた。「なんできしめんが無いんだよ」という声が聞こえてきそうである。
 そうなのだ。うどんの場合はあまりにも諸説ありすぎて、収拾が付かない。氷見うどん、五島うどんが入っていたっておかしくないだろう。埼玉県民としては武蔵野うどんをねじ込みたくもなる。となると、博多うどんが大好きな博多っ子も黙ってはいないだろう。いろいろとネットで言説を漁ってみると、なんと、讃岐うどんを除外する説もある。香川県民が暴動を起こしそうだ。

 世界三大美人なんていうのはいい加減の最たるものではないかと思う。そもそも日本人以外に小野小町の名を知る者なんてどれぐらいるのだろう。

 もともとは世界三大美港という言葉を耳にして、「それはどこのことか」と調べてみたことが三大なんちゃらに興味を抱いたきっかけだった。最初に当たった資料でシドニー、リオデジャネイロ、ナポリ、というのが三大美港であることを知った。ところが、である。「ナポリじゃなくてサンフランシスコだろうが」という意見を海仲間から聞いた。いわれてみれば、そう覚えていたときもあった。前者は「日本港湾協会による1942年の刊行物が発端だ」と、どこかのサイトで目にしたのだが、ごめんなさい。真相は確かめてはいない。

筆者が勝手に日本三大美港のひとつに認定している真鶴港

 日本の三大美港はどこだろう。これは長崎、神戸、清水であるとされているが、これについても誰が決めたのかよくわからない。私としては、真鶴港が入っていないのが不満である。私は自分のボートを停めているこの小さな港をとても美しいと思っている。というわけで、私なりの結論を申せば、「三大なんちゃら」は、ほとんどが風説なので、どんどん異議を唱え、自分なりの「三大なんちゃら」を好きに主張すればいい。

日本三大船祭りのひとつ「貴船祭り」

 その私的・日本三大美港のひとつ、真鶴では、夏に貴船祭りという船祭りが行われている。自分で呆れるほど、こじつけといってもいい長い前置きであったが、実はこの貴船祭りは私的ではなく、広く一般に「日本三大船祭り」に数えられているのである。話がますます長くなるので「船祭り」の定義はさておく。
 以前から興味があってこの祭りをぜひ観たいと思っていたのだが、今年の夏、ようやく願望が叶い、この祭りを目にすることができた。

貴船祭りの花形。飾り付けられた小早船を海へと送り出す

 真鶴町は、神奈川県の西にある、人口6700人弱ほどの小さな町である。実はそれほど多くはない日本の「半島」のひとつ「真鶴半島」を有する海の町だ。真鶴港に面した通りには干物屋さんや民宿、海鮮料理屋などが連なるが、漁業が盛んかといえば、今はそれほどでもないと思われる。水揚げのほとんどは、漁船漁業ではなく、組合が経営する小規模定置網によるもののようで、港内に見られる漁船の多くも、釣り客を楽しませる、いわゆる遊漁船なのだ。

櫂伝馬を漕げる者が減少してると嘆く方がいた。簡単では無い

 海で行われる祭りだけを見れば、糸満の海神祭や宗像のみあれ祭など、海を舞台に繰り広げられる盛大な祭りは漁業の盛んな津々浦々に数多あまたとあるけれど、真鶴の貴船祭りは平安時代から脈々と引き継がれてきた祭りであり、「重要無形民俗文化財」として国の指定を受けている。

 実は真鶴は漁業だけでなく、ここで産出される日本有数の石材“本小松石”の積み出し港として機能していたという側面があり、それを真鶴が港町とする所以なのかななどと思っている。やはり海と港があっての真鶴なのだ。

安全、豊漁の願いは、港のすべての舟に

 祭りは2日間にわたって行われる。様々な神事があるが、今年は貴船祭りの花形でもある花のぬさや提灯で飾り付けられた小早船、櫂伝馬かいでんまによる海上渡御とぎょ、そして神輿の宮出しなどを眺めてきた。

 小早船は戦国時代から江戸時代に活躍してきた軍用船だが、その性能を誰よりも引き出し、巧みに操ってきたのが瀬戸内海の村上海賊衆であった、というのは拙子の私見である。私の中で小早船といえば村上水軍そのものである。その小早船がなぜ真鶴の祭りに使われているのか、隣に並んで撮影していた町の教育委員会の方に聞いてみたり、その方に教えてもらって後で入手した資料をみてもよくわからなかった。それでも現在真鶴で使われている小早船は江戸時代の末期に建造されたものであることはわかった。
 この小早船は祭りが終わると解体して保管され、次の年の祭りの前に再び組み立てられるようだ。その技術は口伝により後継者に承継され維持されてきたものだという。中世の日本独自の造船技術が、こうしたところで形を変えてではあるが継承されている。そのことが拙子にとっては嬉しいことなのである。

貴船神社の百八段の階段を降りてくる神輿。二日間にわたって担がれ、舟に乗せられ、町内を回る

 神輿の宮出しの前に、鹿島踊りを見た。鹿島踊りは茨城の鹿島神社に始まり、東伊豆に至るまで所々に伝わる神事舞踏である。真鶴では男子のみによって行われる。これを踊ることは、一人前の男子となるための修業的な意味合いがあったそうである。そこに、いつもマリーナで世話になっている青年の姿があった。彼には二人の息子がいるが、その長男もこの踊りに加わっていた。さきほどまで、海に浸かって小早船の渡御を手伝っていた彼が、今度は白装束に身を包み、自分の息子と神事舞踏に参加している。目眩がするほどの炎暑の中ではあったが、なぜか心の中は清々しいもので満ちてくる。

もともとは成年戒行の躍りであったという貴船祭りの「鹿島踊」。中央はマリーナ勤務の竜多さん。

 真鶴町は日本創成会議が2040 年には消滅する可能性が高いとしている神奈川6市町村のひとつに数えられている。人口の減少も進む。文化の継承は並大抵のことではない。祭りの最中に「神輿より高いところに人が立つな」「伝馬はどうした。もたもたするな」などと発破をかける初老の男性をお見かけした。伝統継承の担い手であった先輩としては、祭りの最中に「びしっ」としないところを見せられると声を出したくもなるのだろう。
 だが、外野からすれば、こうした伝統行事は存続するだけでも有り難い。貴船祭りそのものは、大漁祈願、海上安全祈願を伴う例大祭である。神輿に御霊を乗せて港内の漁船や石材運搬船を祈祷してまわってきた。今、その船の中には自分の舟も含まれているのだなあ、と、この船祭りの伝統を引き継ごうとする若いマリーナスタッフの姿を見て嬉しくなるのである。

 明日も楽しく、安心して海に出られる。日本三大船祭りは私にとって大きな存在である。

文と写真:田尻鉄男(たじり てつお)
編集・文筆・写真業を営むフリーランス。学生時代に外洋ヨットに出会い、海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海とボートに関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。

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