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「心技体」の「心」を担当。選手たちをこよなく愛するメンタルコーチ 【We are Sailing!】

 今年の2月、沖縄の与那原マリーナで行われたJSAF(日本セーリング連盟)主催の強化合宿に撮影に行くと、鈴木國央コーチが操船する髙山/盛田チームのコーチボートに同乗している男性がいました。2021年10月から髙山/盛田チームのメンタルコーチに就任している倉重知也さんです。

 「実際に海上練習に参加するのは月に一度くらいです。選手たちとは電話やメール、ラインなどで毎日のようにコミュニケーションはとっているんですけどね」と笑う倉重さん。気さくな雰囲気は、その世界をよく知らない我々が勝手にイメージする“メンタルコーチ”というよりも、髙山や盛田の良き兄貴分という印象です。

 合宿中はチームに帯同し、海上練習ではコーチボートに同乗して、一日海に出ていた倉重さん。メンタルコーチとはいったい何する人ぞと興味津々観察していましたが、コーチボート上では鈴木コーチと共通の趣味のバイクの話題で盛り上がったり、陸上では親戚のオジさん、といった雰囲気で選手と談笑しています。
 いったいメンタルコーチとは? と疑問に思っている我々の雰囲気を察したのでしょうか。「メンタルコーチって何やってるの?って思いますよね。よかったら合宿が終わった後にゆっくりご説明しますよ」とのお言葉に甘えて、東京に戻った後にあらためてお話を伺いました。

リーダーシップ、チームビルディング、そしてマインドセット

 前身がヤマハ発動機のラグビー部であるリーグワンのラグビーチーム「静岡ブルーレヴズ」のエグゼクティブコーチを務めているつながりで、ヤマハのセーリングチームのメンタルコーチを依頼されたという倉重さん。てっきり競技スポーツ専門のメンタルコーチなのかと思いきや、
 「スポーツ専門というわけじゃないんです。一言で言うと『人と組織の専門家』ってことになるんですけど……複数の人間が関わるプロジェクト、それはスポーツでもビジネスでも同じことで、代表的な要素としてはリーダーシップ、チームビルディング、マインドセットがあるんですが、これらの要素をうまく機能させることによって、チーム全体のパフォーマンスを上げていくとイメージしてもらえればいいと思います」

 訊けば、倉重さんはスポーツ部門ではラグビー、テニスなどの競技に関わったことがありますが、それ以外にも企業全体、もしくは企業内の各部門のコーチとしての仕事も手掛けているとのこと。

 「一般的にスポーツの世界でコーチというと、テクニックやスキルなどのアドバイスを行う、ヤマハセーリングチームでいうと鈴木コーチのような存在が一般的だと思うんですが、私たちの仕事はセールカーブやコースの取り方をアドバイスすることではもちろんありません。同様に、企業でのコーチングといってもアパレルの商品開発やクルマの販売方法などをアドバイスするわけじゃないんです。先ほど『人と組織の専門家』といったように、そこに関わる人間のポテンシャルが最大限に発揮されるようにリーダーシップ、チームビルディング、マインドセットなどの側面からサポートするのが仕事です」
 倉重さんの丁寧な説明のおかげで、コーチングという概念はなんとなく理解することができましたが、じゃあ何をするの? という疑問は相変わらず残ったままです。

 「そうですよね。具体的に何をしているのかというと、選手たち、つまり髙山くんと盛田さんと直接コミュニケーションを取っていく中で、彼らが悩んでいたり、迷っていたり、ストレスに感じていたりすることを引き出して、それをコミュニケーションの中で解決していくということです。解決といっても僕が答えを知っているようなものではないので、選手自身が僕との会話の中で問題を整理して、自分なりの解決にたどり着くようにサポートしていくというイメージですかね」

 なるほど、メンタルトレーニングなんていうと、プレッシャーやストレスに負けない強いメンタルを鍛え上げる的なイメージを抱きがちですが、目の前の問題を解決して前に進んで行くという地道な作業のようです。

 「地道な作業ですよ(笑)。あと、スポーツ選手って凄く調子のいいときと、何をやっても裏目に出るときという好不調の波がありますよね。それは技術的な要因や肉体的な要因もあるはずですが、メンタルな要因ももちろん絡んでいます。その場合は、いい状態のときと悪い状態のときをボクとの会話の中で徹底的に比較してもらって、そのコミュニケーションの中からいい状態に持って行くための自分なりのトリガーみたいなものを探し当ててもらう。これも一つのマインドセットの方法ですよね」

倉重知也さん。心技体のうち、心を担当するメンタルコーチ

 倉重さんの話を聞いていると、言われてみれば当然のことだなと思えてきます。自らを顧みればメンタルなんてヨワヨワなときもあれば、やけにタフに振る舞えるなあ、なんてときもあります。そんなアンコントローラブルなメンタルを、少しでもセルフコントロールできるように、コーチと選手がコミュニケーションの中で一つずつそのカギを拾い集めていくのが倉重さんの仕事のようです。それは、新しい課題にぶつかるたびに行わなければならない作業であって、ゴールはありません。だからこそ、プロジェクトの終了まで選手に寄り添う存在であり続けなければならないのでしょう。

 「よく『心技体』っていいますよね。この三要素にはそれぞれ専門のコーチーが必要なんです。髙山さんと盛田さんにとって、技については鈴木コーチ、体については水野トレーナー、心については私が担当しているということなんです」

大切なのはセーラーたちへの愛

 倉重さんは、ヤマハセーリングチームの仕事をする前は、セーリング競技について全く知らなかったと言います。倉重さんの場合は技術的なコーチングをするわけではないので、競技についてそれほど細かいことを知っている必要はないとはいえ、選手とコミュニケーションを取る上で最低限の知識は身につけておく必要があります。倉重さんはセーリング競技について自分なりに色々と調べたそうです。

 「これはボクの考え方なんですけど、コーチングにとって最も大切なことは、対象となるスポーツと選手たちを心の底から愛しているということなんです。この大前提なくしてコーチングはできない」と倉重さんは言います。

 「セーリング競技の素晴らしいところは、これはラグビーとも通じるところではあるんですが、一度競技が始まったなら全ては選手が自分で判断しなければならないという厳しさがあるところ。レース中にどんな苦境に立たされても自分たちだけで解決していくしかない。人間として自立していないと戦えない競技なので、ボクたちのようなメンタルコーチの役割がとても大事になる競技だと思います。また、風や潮といった人間にはコントロールできない自然を相手にするスポーツなので、予想外に発生したアンラッキーなアクシデントも全て受け入れる懐の深さも必要になります。なんだか人生の縮図のような世界で、大人のスポーツなんだなあというイメージですね」

 髙山、盛田の両選手について倉重さんは、「彼らはとても向上心が高くて、ボクとのコミュニケーションの中でも好奇心旺盛に食い付いてきて、問題を克服していこうという極めて高い意志を感じます。これは、これまで見てきたスポーツ選手の中でも、かなり高いレベルにあると感じているので、今後の成長が本当に楽しみです」と言います。

多くの人にセーリング競技の魅力を知って欲しい

 倉重さんと話しているうちに、ちょっと意地悪な質問が思い浮かんだので、思い切ってぶつけてみました。プロのメンタルコーチである倉重さん自身は、自分のためのメンタルコーチが欲しいと思ったことはないんですか?

 「ありますよ! というか今も2人のメンタルコーチと契約してます。全員とは言いませんけど、コーチングを職業にしている人の多くは、自分のためのコーチと契約してますよ。自分のことは自分が一番よく知ってるんですが、同時に自分のことが一番わかってないのも自分なんです。要は客観的な視点が必要だってことなんですね。それはスポーツ選手でもコーチ自身でも同じことなんです」

 ちょっと意外な答えでしたが、倉重さんも普通の人間なんだなあと、ちょっと安心しました。メンタルのプロであるメンタルコーチにもまた、メンタルコーチが必要なんですね。

 最後にこれを読んでいる読者の皆さんに、倉重さんからひと言。

 「ヤマハさんの仕事で初めてセーリングやヨットレースを見ることになりましたが、これは本当に面白いスポーツです。実際に海で見るとそれがわかると思います。競技のなりゆきや勝負の趨勢みたいなことはわからなくても、その迫力と魅力は伝わってきます。機会があればぜひ見てもらいたい。多くの人にこの競技の素晴らしさを知って欲しいですね」


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