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船を発明する以前の人類は、泳いで海を渡ったのである。 【Column- 潮気のようなもの】

 大好きな子ども向けの絵本がある。船の絵本だ。最初に「船のはじまり」というページがある。そのページの絵が大好きだ。動物の皮を腰に巻いただけの男が川縁に立っている。向こう岸には、同じく動物の皮でつくったと思われるワンピースを着た女の子が立っている。いやいや、立っているというより、胸のあたり手を組んで「お願い!私を迎えに来てっ!」って感じだ。
 男の目の前を流れる川には、流木やら動物の死体、竹、木の実などが流れている。そして頭のところには吹き出しが描かれている。男はそれらに捕まって、また、動物の死体や竹をまとめてつくったいかだに乗って舟を漕ぐ自分の姿をイメージするのだ。
 この男の場合は、向こう岸にいる女の子が目当てなのであり(彼女にアイスクリームを届けるために船外機を作っちゃったエビンルードさんを思い出します)、あまり褒められたものではないかもしれないが、とにかくだ、人という生き物は、そこまでして川や海を渡りたいと思う、そして実際に渡ってしまう、そんな生き物だったのである─、なんてことを思ったりして、大いにときめくのである。
 この絵本の話は、これまでにもいろいろなところで人に話したり、書いたりしてきた。少し自慢げに。

 ところが、先日、こんな私の美しくもロマンティックな船や海への思いに、水を差すような光景を目の当たりにしてしまった。その光景は「人は船を発明する前に、泳いで向こう岸に渡っていたはずだ」という当たり前の事実を私に突きつけるものであった。
 絵本の男は「何とかして女の子に会いたい」と考えて船を思いついたのではなく、実は、ただ泳ぐのが面倒で「ラクをして女の子に会いたい」と考えていたのではなかったか。それって、ズルじゃないか。

初島・熱海間10kmのオープンウォータースイミング

 8月のある日、師匠のカメラマンに頼まれて、真鶴(神奈川県)からボートを出し、熱海(静岡県)の沖に浮かぶ初島を目指した。初島から熱海までの約10kmを泳ぐオープンウォータースイミングの大会を撮影するためである。初島の漁港の入り口近くまでやってくると、すでにたくさんの漁船が集まっていた。1チームにつき1隻が、伴走船としてゴールまで一緒に走るのである。

 熱海市が主催するこの大会には歴史があり、今回でなんと75回目を数える。70過ぎても意気軒昂、ボートの上で楽しそうにドローンを操作している師匠の顔をつくづくと見た。この人が生まれる前からこの大会は始まり、今に至っているのかと思うと感慨深いものがあった。
 毎年参加チームは25と決められている。参加を希望するチームは多く、前年の成績や抽選などで選ばれるそうだ。レースは3名のスイマーが一定の距離を保ちながら1チームとして泳ぐ。3人がバラバラになってしまったら失格だ。ひたすら3人で10kmを泳ぐ。

8月4日に行われた第75回初島・熱海間団体競泳大会のスタート。
25チーム75名のスイマーが10kmの海峡を泳いだ

 初島の漁港のスロープから75名のスイマーが一斉に海に向かって泳ぎ出すスタートシーンは、ドローンのリモコンの小さなモニターから見るだけでも圧巻だった。ただ、人が10kmも泳ぐ姿を、いくらレースだとはいえ、見続けるには少し忍耐がいる。見ているとほとんど前に進んでいるようにも見えない。微風のヨットレースのようだ。
 実際、ヨットレースに似ているところもあった。遠目からボートに乗ってみていると、どのチームがトップを泳いでいるのかわかりにくい。ゴールまでの距離と、いわゆる高さに差があるからである。また潮流の影響も無視できない。でもとにかく、素人目にはスピード感というものがほとんどない。
 ひと通りの撮影が終わって、ひとあし先にゴール地点の熱海港の入り口までやってきた。ボートならあっという間に着く。不謹慎にも師匠と二人でスイマーがやってくるまでの間、釣りをしながら待つことにした。

オープンウォータースイミングは海洋冒険の原点かもしれない

 ボートには、出場チームのひとつ、相模原市水泳協会の理事長・添畑大海おおみさんも同乗していた。釣りをしたのは、大会側に撮影許可を得たとはいえ、プライベートで出したボートはどっちにしろスイマーに近づけないという正当な理由からの蛮行で、いま思えば添畑さんには大変失礼なことをしたかもしれないと反省するが、それでも快く付き合ってくれ、その間に、オープンウォータースイミングについていろいろと教わった。

 「オーシャンズ・セブンって知ってますか?」
と添畑さんから聞かれて、すぐにジョージ・クルーニー主演の“オーシャンズイレブン”の続編かなにかかと思ったが、これは引っかけ問題に違いないと疑心暗鬼になり「いえ、なんですか?それ」と、とぼけて説明を待った。
 「モロカイ、ドーバー、津軽、クック、ジブラルタル、カタリナ、ノース海峡。世界ウォータースイミング協会が定めた海峡で、これらの海峡を泳ぎ切ることがオープンウォータースイマーの勲章とされているんですよ」

 “大貫映子”という名前を思い出した。以前、事務所に置いてあったヤマハのPR誌のバックナンバーをめくっていたら、人物紹介記事が載っていて、興味深く読んだことがある。
 大貫さんは、1982年に日本人として初めてドーバー海峡を泳いで渡ったと公認(着用するスイムウェアなど泳法に規定がある)された女性である。ドーバー海峡は距離にして約35km。そのときの記録は9時間32分。バブル前夜ともいえる華やかな80年代前半に、こんな酔狂な冒険をした女性がいたのであった。
 大貫さんの話をきっかけに、添畑さんは次々に海峡の名前を挙げだした。6年前、相模原水泳協会の女子高校生が、それまでの女子の記録を1時間以上も更新して津軽海峡を泳ぎ切ったのだという。津軽海峡は約30kmのコースだが、オーシャンズ・セブンの中ではもっとも潮流が複雑、かつ速く、横断には困難が伴うと聞いて、鈍感な私もオープンウォータースイミングの偉大さに気づきはじめた。
 オーシャンズ・セブンではないけれど、オーストラリアの西岸に浮かぶロットネス島からパースに近いコテスロー海岸を目指して泳ぐオープンウォータースイミングも魅力的なのだと添畑さんは教えてくれた。

相模原市水泳協会の理事長・添畑大海さん。日本水泳連盟のOWS委員でもある

もっと海に好きななってもらうために

 津軽海峡とロットネス海峡の話が特に印象に残ったのは、いずれも私自身が船で渡ったことがあるからだった。パース(フリーマントル)からロットネス島を船で渡ったときのことで思い出すのは、強風と高い波である。往年のセーリングファンならばフリーマントルドクターという季節風の名を聞いたことがあるのではないだろうか。
 「あの海を人が泳ぐって、ちょっと待て。冗談でしょ」と疑いたくなる、そんな荒々しい海の光景を思い出し、想像しただけで海に溺れるような(溺れたことはないけれど)息苦しさを覚える。
 なぜそんなことをしてまで人は泳ぐのか。凡人には理解不能である。
 「競泳のトレーニングという側面もあるのですけどね、競泳でなかなか実力を発揮できない選手がオープンウォーターで力を発揮したりすることがあるんですよ。泳ぐには潮の流れや海水温、もちろん風も影響します。自然の要素が加わる環境の中で、ただ泳ぎが速いだけでは勝つのが難しい競技なんです。それと、“自然との触れ合い”という部分でも魅力的な競技だと思います。遊び心がある、楽しさという面もあるんです」
 
 先頭集団がゴールに近づいてきて、あわてて釣り竿をしまい込んだ。スタートから約2時間が経とうとしていた。
 恥ずかしながら、レースの終盤になって、この競技の、冒険的、挑戦的、さらにいえば原始的ともいえる魅力にようやく思いを馳せることができ、理解もした。

 そして話は冒頭の「船のはじまり」に戻る。

 対岸の女の子は、船で悠々とやってくる男より、必死になって泳いで渡ってきた男の方を選ぶのではないか。

 さて、余談である。先頭を切って熱海にやってきた相模原水泳協会のスイマーたちを見守る添畑さんの顔を見つめた。オープンウォータースイミングを熱く語ってくれたときから思っていたが、似ている。
 業界をよくご存じの方の中には、その名前でお気づきの方もいらしたかと思うが、大海さんはこの日写真を撮っていた海洋カメラマンの大御所・添畑薫さんのご長男である。ロケ中に「ちょっとロケハンしてくる」と分けのわからぬ理由をつけてはすぐに海に潜りたがる、父親の憎めない悪い癖を思い出し、私も女の子……じゃなくて、もっと「海」に好きになってもらうために、海の中へと飛び込んでいくべきかもしれない、などとしばし悩んだのである。
 もちろん遠泳はしないけれど。

写真:添畑薫(空撮)/田尻鉄男

文:田尻鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。東京生まれ。

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