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日本から最も遠いところにある国の水辺は夏真っ盛り。 【Coumun- 潮気、のようなもの】

 年末になると人は移動を始める。帰省する人が多い。日本中のあちこちで、生まれ育ったところに帰り、正月の数日を過ごす。その風習をどこか美しいものと感じている。拙子の場合は妻ともども実家というものが首都圏にあって「帰省」の経験が無いに等しいから、少し羨ましい。
 年末年始の休暇を利用して海外に渡航する人も多い。テレビを付けると芸能人さんたちが空港を歩く姿が映し出される。ハワイが人気のようだ。拙子もハワイは大好きだ。これもまた羨ましい。
 どちらもたいへんな混雑が伴うようだ。それでも大移動する。そこで、─ 強引な前置きだけど─、これまでもっとも遠くへ移動したときのこと、日本の反対側にある国、今は夏真っ盛りのアルゼンチンの思い出について書いてみたい。もちろん、いつものように水辺の話だ。

ルハン川の下流、ラ・プラタ川のと合流地点。ブエノス・アイレスの高層ビル群が見える

 アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスは大西洋に面した港湾のように見えるが、目の前に広がる大きな湾はパラナ川とウルグアイ川が合流したできた三角江であり、その幅は最大で270km、長さは300kmにも及び、現地ではラ・プラタ川と呼ばれている。拙稿は潮気がテーマということになっているが、ブエノスアイレスの前に広がる海のようなものは、実は大西洋へと繋がる淡水なのである。

 その大河には無数の支流があり、それらがブエノスアイレス州に住むボーターたちにとって格好の遊び場となっている。そして独特の水文化が育まれているように見える。ブエノスアイレスの北西部に接したティグレ(Tigre)という町はそんな遊び場の中心部。
 川から、陸から、休日のティグレを散策した。

川縁の散歩道。ひっきりなしにボートが行き来する

 ラ・プラタ川の支流の一つルハン川のほとりにあるマリーナからボートに乗り込んだ。マリーナと書いたが、ボートの「格納庫」と呼んだ方がわかりやすい。このマリーナのボートはすべて、艇庫の中にラック積みされているのだ。この後、実際にクルージングしてみて気づくことになるのだけど、大型ボートやセールボートを擁する係留型のマリーナもところどころに存在しているものの、ティグレではラックによるボートの保管場所の方が圧倒的に多い。

奥の建物はどうやらティグレのボートクラブらしい

 このマリーナの辺りから上流は川幅がどんどん狭くなっていくのだが、それと相反するように舟の交通量は増え、ティグレの「銀座通り」といった様相となる。プレジャーボートから水上オートバイやローイングボート、さらには水上バスや貨物運搬船がひっきりなしに往き来する。
 操船は慎重にならざるを得ない。それでも静かな水面をのんびりと走る楽しさとはまた異なった、それはそれは魅力に溢れたひとときとなる。川の両岸に見えるボートの保管施設も含めて水域に対するボートの密度は尋常ではない。わが国よりも、はるかにマリン文化の水準は高いと思えたのだった。

ブラジルを源流とする大河の支流のは褐色だ。汚れているわけではない

 ルハン川からさらに狭い水路へとボートを進めると、今度はそれまでの喧噪が嘘のように静寂に包まれる。豊かな緑の合間には、簡単な桟橋を備えた家々が建ち並ぶ。先進国のリゾートで見られるような豪華なものではない。富裕層の別荘、というわけではなく、どうやら実際に住居として使われている家が多いようだ。そんなところにもブエノスアイレス州の人々の親水度の高さが窺えるのである。

 静かな水辺のレストランに舫いをとり、遅めのランチをとる。メニューはそれなりに豊富だが、一緒に遊んでくれたポルテーニョ(ブエノスアイレスっ子)は、しきりにステーキを勧めてくる。勧めに従いそれを頼んだら、とんでもなくデカい肉の塊が出てきた。
 「アルゼンチンは人より牛の方が多いんだぜ」
 冗談と受けとめてその場では笑って聞き流したが、後で気になって調べてみるとアルゼンチンの人口4500万人よりも1000万頭ほど飼育牛の方が多いという事実が判明した。

牛肉を振る舞われたレストラン。ボートで行ける

 旨い肉には大いに満足したが、あまりにも満腹で何もする気が起こらなくなってしまった。欠伸がとまらない。これから遠くまで行く予定もない。アルゼンチンの地方部ではいまでもシエスタの文化が生活習慣として残っているのだという。というわけで、川面を眺めながら寝てしまった。のんびりと静かな午後を過ごした。

水辺とボート、フットボールの王国

 ティグレの街を、といってもルハン川のほとりだけの狭いエリアだが─、歩いてみた。駅前の駐車場に車を入れて歩き出すと、すぐに橋が見えてきて、その周辺の桟橋にはたくさんの水上バスがせわしなく出入りしている。
 この水辺を歩けば、おそらくボートや舟運に興味のある人なら独特の心地よさを感じるはずだ。その理由は街の歴史の古さと、それに調和したデザインにあるように思える。両岸に並ぶレストランやボートクラブのクラブハウス、川を往来する水上バス、川に架かる橋、川端に整備された遊歩道を散歩する人々にいたるまでが美しい。

こうしたローボートをたくさん見かけた。アルゼンチンの人々はスポーツが好きなのだ

 川のところどころにスロープが造られている。周辺にはローイングボートのクラブがいくつかあって、そこからボートをおろしている。そんなシーンにあちこちで遭遇する。ローイングボートを楽しむ人々は、老若男女、幅広い。お母さんと小さな男の子、老夫婦、男同士の仲間、様々な人々の楽しむ姿を見ることができる。
 日本からか最も遠い国の一つであるアルゼンチンといえば、フットボールとタンゴが盛んといったぐらいの認識だった人も、ティグレ周辺を訪れてみたら、この国が北欧並みの、もしかしたらそれ以上の「ボート天国」であると感じるだろう。

 旅程の最後の日に、アルゼンチンの水辺の写真をもう少し撮りだめしたいと思って、「旅の最後にアルゼンチンらしい写真が撮れるところに連れていってくれないか」と頼んだところ、件の肉自慢男は「よしきた!」とばかりに張り切った。ところが彼は、我々を水辺ではなく「ラ・ボンボネーラ」に連行したのである。
 「ラ・ボンボネーラ」はブエノスアイレスのプロ・フットボール・チーム、ボカ・ジュニアーズのホームスタジアムだ。なんでも彼はシーズンシートを保有しているらしい。そして同じブエノスアイレスのリーベル・プレートのサポーターである同僚の悪口(といってもとても仲良し)を散々聞かされた。

けっきょくいちばん自慢したかったのはラ・ボンボネーラだったのだろう。
右端に写るカフェも青と黄色だらけ。そしてステーキサンド……

 結局のところ、彼らは何をおいてもフットボールなのである。
 なお、ラ・ボンボネーラの近くで彼が勧めてくれたアルゼンチン滞在中最後のランチは、どでかいステーキ・サンドであった。


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