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ヤマハ発動機はおもしろいことをする会社です。 【We are Sailing! 】

 いよいよ来年の2月の終わりから、ヤマハセーリングチームの目標であるパリ大会の日本代表選考会が始まります。今回は、企業体であるヤマハ発動機株式会社が同チームをサポートする目的と意義について、チームリーダーである藤井茂さんに改めてお話を聞いてみることにしました。

 「私たちが考える470プロジェクトの目標は大きく分けて2つあります。まずは“世界で戦える艇体の開発”、次に“世界で戦える選手の育成”です」(藤井/以下同)

 ヤマハ発動機はモーターボートから漁船まで多様なFRPボートの開発・製造に携わっており、この分野においては日本のリーディングカンパニーといって差し支えない存在ではあります。しかしながら一方で、国際470級といったワンデザイン(厳格に定められたクラスルールの下で製造される均一性能の種目)のレーシングディンギーという分野については、マーケットの規模も極めて限定的と言わざるを得ません。ヤマハ発動機という規模の企業体がこうした特殊な分野にリソースを注ぎ込むメリットはあるのでしょうか?

 「確かにワンデザインのレーシングティンギーというのは、世界で勝つためといった極めて限定されたマーケットしか存在しません。ただ470級というクラスについては日本は世界的に見ても例外的にそれなりの規模のマーケットが存在します。それは国体やインカレ(大学生)といった大会の正式艇とされていることで、大学のヨット部や都道府県のセーリング連盟などからのニーズが存在するという背景があります。ヤマハ発動機ではセーリングチームが使用する艇体の470C PHを開発したノウハウを生かし、470 ACPHという量産型(主に大学生用)の艇体の量産につなげ、その成果は着実に出ていると考えます。最近では強豪クラブの早稲田大学体育会ヨット部がヤマハのACPHでインカレ優勝、さらには今年の全日本470級選手権でもトップ10のうち7チームがヤマハの470を使用していたなど、国内の評価は着実に高まっています」

主に大学ヨット部向けにリリースした量産型の「YAMAHA 470 ACPH」

 実際にヤマハ製の470級の評価が高まっていることは現場の声からも感じられることですが、ヤマハ発動機という企業の規模から考えると、リターンとしての絶対量が少ないようにも感じてしまいます。

試作ラボのレベルを引き上げる

 「もちろん、国内での販売はその一部に過ぎません。我々が考える最大の意義は試作ラボのレベルアップとその技術力の維持です。現在470級の製造は兵庫県姫路市にある老舗ヨットビルダーのオクムラボート販売に属託しています。量産型のACPHの生産もこちらで行っているのですが、それ以外にも当社のマリン先行開発部門から試作品のオーダーを出しているのです。FRPボートの草創期からレーシングディンギーの生産に取り組んできたオクムラボート販売にはFRP成型から製品組み立てまでの高い製造技術と経験が蓄積されていて、我々の多様なオーダーに過不足なく応えるだけのレベルを有した試作ラボとして高く評価しています。そうしたオクムラボート販売に対し、ヤマハディンギーの製造委託ビルダーとしてだけではなく、試作ラボとしてのレベルも一層高めていただくための手段として、頂点で争うためのレーシングディンギーの製造をお願いしているという側面もあるのです」

 セーリングのように道具(乗り物)を使う競技スポーツにおいて、そのギアの開発・生産にスポンサー企業が関わるというケースは珍しくありません。最近、人口に膾炙した例として冬季大会での「下町ボブスレー」があります。東京大田区の町工場の技術力で世界に通用するボブスレーを製作するというプロジェクトは継続中のようですが、ボブスレーの場合、あまりにも(愛好者を含めた)競技人口が少ないため(国内で100人とも)、量産につなげるというスキームは成り立たないようです。

 ヨーロッパで人気のロードレース(自転車競技)においては、様々なメーカー(主にはフレームメーカー)が自社チームを有してグランツールなどに参戦しています。こちらはボブスレーとは反対に競技人口がセーリングに比べると圧倒的に多いメジャースポーツのため、メーカーの数は比べものにならないほど多く、さらにはフレーム以外にもホイール、タイヤ、コンポーネント(ギア類)などパーツ毎に成熟したマーケットが成立しており、選手毎にギアを開発するというよりも、選手が自分に合ったものを選べるだけの製品のラインナップが十分すぎるほど出揃っているという状況です。

 セーリングと同様に舟艇を使用する漕艇(ローイング)はどうでしょう? 漕艇の場合、ヨーロッパを中心に数多くのメーカーが存在しますが、ここ近年のレガッタではエンパッハ(独)、フィリッピ(伊)の二大メーカーが上位を独占する状況で、国内にも桑野造船とデルタジャパンという二大メーカーが頑張っているという状況はセーリングと似ているかもしれません(かつてはヤマハ発動機も競技用ボートを建造していました)。

 ただ、ビルダーの数がセーリングよりも遙かに多いのは競技人口の違いもさることながら、世界大会の種目の変遷にその理由がありそうです。漕艇は、現行の男子7種目のうち5種目が1904年大会から変わらず続いているのに対し、セーリングでは全8艇種中最も歴史のある470級ですら1976年から採用された種目で、次回2024年大会では新しく2艇種が採用される予定で、毎回のように採用艇種が変わっています。そのため、艇種が変わるたびにビルダーも変わることになってしまい、老舗のビルダーが育ちにくい環境になっているといえます。

 同じ舟艇競技の漕艇ですが、独自の艇を開発することによって好成績を上げようという取り組みは現在あまり見られないようです。成績は道具(艇体)よりも人間(選手の肉体)に依存するという認識が強いということと、チームに合った艇体を選べるだけのビルダーの数があるということなのでしょう。

 では、2つめの目標である選手の育成という部分についてフィードバックできる要素はどこにあるのでしょう。

独特のスポーツへの関わり方がおもしろい

 「これについては直接的なフィードバックを期待していいか分かりませんが、新人リクルーティングへも寄与すると良いと思っています。因果関係を検証したわけではありませんが、470チームの活動を開始してから大学ヨット部出身の社員が増えたような気がします。ヤマハ発動機という会社がヨットをはじめとしたマリンスポーツに取り組んでいる様子をアピールすることで、マリンに関心のある学生に魅力ある企業だと思ってもらうことはできると思います」

選手の育成について企業にフィードバックできることはあるのか

 とはいえ、会社の事業規模からしたらセーリングに関わる仕事はほんの一握りです。セーリング経験のある学生がそれほど必要なのでしょうか?

 「セーリング経験が必要かと言われれば、そこまでは言えないでしょうね(笑)。ただ、セーリングをはじめとしたマリン関連の知識や興味があるというベースを持っている人間は、マリン関連の部門で仕事をする上で非常に役に立つことは間違いありません。それ以上に、マリン部門を事業の一つの柱としている企業にとって、彼らの存在は活力の源になると思います。(大学ヨット部出身の)自分が言うと説得力がないかもしれませんが(笑)」

 現在、多くの企業が様々なスポーツに関わっています。その多くはスポンサードという形で主に資金面で活動を支援する形です。そんな中にあって、企業の事業の一環として競技スポーツに関わっている現在のヤマハセーリングチームのあり方は独特です。国内においては今や唯一無二の存在かもしれません。そんな取り組みが、競技スポーツの形を変えるのか? それとも企業の関わり方を変えるのか? いずれにしろ面白いことをする会社です、ヤマハ発動機は。

※タイトル写真:磯崎選手、小泉コーチと談笑する藤井茂さん(写真左)

文と写真:松本和久(まつもと・かずひさ)
ヨット専門誌「ヨッティング」編集部を経て、1995年にフリーランスの写真記者として独立。ヨットレースだけでなく、漁業や農業など一次産業の取材も得意とする。本欄「We are Sailing」のメインライター。学生時代は470級のクルー、ヘルムスマンの両ポジションで活躍。卒業後に国体(山梨)出場の経験も持つ。1963年生まれ。愛知県出身。

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