外洋でシーマンシップを磨く、もう一つの大学ヨット部。 【We are Sailing!】
以前、このマガジンで大学のヨット部についてお話させていただきましたが、今回は、「もう一つの大学ヨット部」についてお伝えしたいと思います。
取材にうかがったのは千葉大学体育会ヨット部外洋班。彼らが活動に使っているヨットは全長31ft(約9.5m)のセーリングクルーザーです。
一般的に大学ヨット部というと、二人乗りのセーリングディンギー(470級、スナイプ級)を使ってヨットレースを行い、大学日本一を競う「全日本学生ヨット選手権」を目標に活動する、競技スポーツとしてのヨットに取り組むヨット部をイメージします。これらの大学ヨット部が加盟しているのが、全日本学生ヨット連盟という組織で、全国の113大学(昨年の水域予選に出場した大学は81大学)が加盟しています。
一方、千葉大学体育会ヨット部外洋班が所属するのは日本学生外洋帆走連盟という組織で、関東の7大学(慶應義塾大学、千葉大学、東京大学、東京都市大学、日本大学、防衛大学校、明治学院大学)と関西の2大学(神戸大学、甲南大学)の9大学だけ。まさに「もう一つの大学ヨット部の世界」というべき学生ヨットのパラレルワールドなのです。
千葉大学の活動拠点は神奈川県の小網代湾。有名なシーボニア・マリーナの奥にある自然の入り江に海上係留する形でセーリングクルーザーを保管しています。同じ小網代湾には日本大学と東京大学、小網代湾の隣の諸磯湾には慶應義塾大学、東京都市大学、明治学院大学の艇が係留されており、関東所属の6大学が三浦半島西岸の入り江を活動拠点としています(防衛大学校は横須賀市観音崎近くの走水海上訓練場に保管)。
外洋帆走の大学ヨット部の活動の柱は、夏休みを使って実施されるロング・クルージングと毎年3月に行われるアニオールズカップ(外洋学連杯)というヨットレース。この2つの大きなイベントの合間に帆走練習、ショートクルージング、艇体整備などを行い、近隣で開催される一般のクラブレースやショートオフショアレースなどに参加します。さらに、社会人のクルーザーチームのクルーとして様々なレースに参加する、というのも外洋帆走ヨット部の特徴です。
さて、千葉大学ヨット部の実際の活動はどうなっているのでしょう? 今年の3月にクラブを引退したばかりの4年生、金子颯一郎さんに聞いてみます。
「ヨット部はディンギー班と外洋班に分かれているんですが、4月の新入生勧誘は両班合同で行うんです。ヨット部に興味を持った新1年生はディンギー班が活動する千葉市の稲毛ヨットハーバーと外洋班が活動する小網代湾の両方を訪れて、ディンギーとクルーザーの両方を体験した上でどちらを選ぶかを決めて、6月くらいからは自ら選んだ班で活動することになります。(金子さん)。
レースにクルージング、練習と艇体の整備が活動の柱
「活動は原則として毎週土曜日で、土曜日の朝に小網代に集合して海上練習を行います。着替えなどは小網代ヨットクラブのクラブハウスを使わせてもらっています。大学では週に1度ミーティングを行って、セーリングに関する座学や、土曜日に行った練習での反省点などを話し合います。年間のスケジュールとしては、夏休みに入った8月の上旬にヨットを上架して船底の掃除と再塗装を中心に艇の整備を行って、その後に夏のロングクルージング。ボクの場合はコロナと台風で夏のロングクルージングは全く行けませんでした(笑)。秋は毎週土曜日の練習と、その合間に社会人のクラブレースなどに参加したりします。毎年12月にアニオールズカップという学生外洋帆走連盟のレースの練習会というのがあります。アニオールズカップでは愛知県の三河御津マリーナが保有するレンタルの同型艇を使ってのレースになるので、出場を予定する大学が集まってフネに慣れるための練習会を行っているんです。その練習会が終わったらシーズンオフ。学年末の試験が終わる1月中旬に練習を再開して、3月に行われるアニオールズカップに出場。この大会で優勝するとフランスで開催される世界大会に出場する権利がもらえます。この大会が終わった時点で4年生(この時点では厳密には3年生)はクラブを引退して代替わりとなります」(金子さん)。
毎週土曜日だけの練習とは、体育会としてはライトな活動状況のように思われます。
「そうですよね。ディンギー班と比べると練習日が少ないので、それを魅力と感じて外洋班を選ぶという部員もいるんです(笑)。大学生としていろんな活動をしたいという人は、ヨット部以外にもいくつかのサークルを掛け持ちしてアクティブな大学生活を送る人もいます。僕らの同期の艇長がそうでした(笑)」というのは修士1年生の榎本陸登さん。
千葉大学体育会ヨット部外洋班では、主将のことを艇長と呼ぶのが慣わしです。ちなみに過去3年間の艇長は全て女子部員で、今年の新艇長も2年生の岩本志満さんに決まったため4年連続女子の艇長となりました。
部員減少は各大学共通の悩み
少ない部員ながら、楽しく活動している様子の千葉大学体育会ヨット部外洋班ですが、実は2005年頃に部員がゼロになり、2011年までの約5年間は活動休止を余儀なくされていたといいます。
「さすがに数年間部員ゼロともなるとクラブの存続について決断を迫られることになったので、OB会の有志7人が集まってクラブの再建を検討しました。その結果、クラブ艇の保有・管理・運営をOB会で行う方針に切り替えた上、新たな部員の勧誘を行うことにしました。ただし期限は3年間。それで新入部員が現れない場合は廃部にするしかなかったのですが、翌年の2012年にディンギー班の部員1名が外洋班へ転向することになったので、私が監督に就任してその部員1名とOB数人による変則スタイルでクラブの活動を再開することができました」と語るのは監督を務める坂本雅昭さん。
その2年後の2014年、10年ぶりの新入部員となる1年生3名が入部。坂本さんらOBたちの努力が実り、千葉大ヨット部外洋班は再び息を吹き返しました。それでも困難は続きます。
「その年のレース中にフネが壊れる事故が発生しまして。ケガ人は出ませんでしたが、艇の老朽化が著しく、このまま使い続けると安全上の問題が発生するという状況でした」(坂本さん)
それもそのはず、このとき使っていた〈くろしおⅣ〉は坂本さんが現役の大学生だった頃に進水したもので、クラブで使用していた期間だけでも建造から23年間が経った老朽艇でした。
「私が卒業してしばらくしてからは部員数が減る一方だったので、買い換える余裕がないままクラブが休眠状態になってしまった。クラブを安全に再開するためには新しいフネに買い換える必要があると考えました」(坂本さん)
とはいえ、休眠状態だったクラブに資金はなく、坂本さんたちはOB会を中心に艇の買い換えのための寄付を募ることにしました。と同時にクラブ艇に相応しい中古艇の選定を開始し、翌年には無事〈くろしおV〉をクラブ艇として進水することができました」
新たなクラブ艇を得た千葉大学体育会ヨット部外洋班は、少ないながらも毎年確実に部員を確保し、その活動が軌道に乗りかけた頃、世界は未曾有のパンデミックに突入してしまいました。
「せっかく軌道に乗り始めたところだったのですが、活動自粛を余儀なくされました。昨年途中からようやく通常の活動に戻れたところなので、もう一度頑張らなきゃダメですね」と坂本監督は笑います。
報酬をもらうわけでもなく、駅伝やラグビーの監督のように成果を上げれば栄誉を得られるような競技でもないクラブの再建に、これほどまでに情熱を注ぐ坂本さんのモチベーションはどこからくるのでしょう。
外洋セーリング文化を伝える場所を残したい
「ヨット部を再建したいというよりは、外洋セーリング文化を大学生に伝える場所を残したいという気持ちですね。ヨット部のOBに寄付を募るときも、ヨット部での経験がなかったら今の皆さんは存在しないんじゃないでしょうか、と呼びかけました。濃密な4年間の経験は僕たちの人生に大きな影響を与えた。そんな経験を積むチャンスを、今の学生たちにも残してあげたいという気持ちです。それが大学のヨット部であるかどうかは二の次なんです」(坂本さん)。
風光明媚な小網代湾というロケーションで過ごした坂本さんたちの4年間は、彼らの人生において掛け替えのない経験となりました。そのプラットフォームを後世に引き継ぎたいという思いが坂本さんの背中を押しているのです。そんな坂本さんたちのヨット部生活は、今の学生たちが送っている土曜日だけの活動とは全く異なるものだったようです。
「僕らの頃は金曜日の夜に小網代湾に集合して船中泊です。その頃は部員が多かったのでキャビンの中に重なるように寝てました(笑)。それでも入りきらない部員はデッキの上や、港の岸壁で寝てました。食当は1年生の仕事で、ヨットのギャレーで10数名分の食事を朝昼晩すべて調理する。朝は上級生が寝ているすぐ横で飯を炊くんです。食当は本当に辛かったなあ(笑)。で、土日は一日中海で練習でしたので、今の学生たちより上達は早かった。夏のロングクルージングも今では考えられないくらい遠くまで出かけました。僕らの頃は近畿・四国あたりまでクルージングして、途中で陸路から来たメンバーと交代しながら、全部員が参加できるように工夫していました」
船中泊のくだりを聞いただけでウンザリするような経験談ですが、坂本さんは実に楽しそうに思い出を振り返ります。
「あれだけ濃密な4年間を過ごしたからこそ、今でも当時の部員たちとの結束は強いし、それがあったからこそ今クラブの再建に情熱を傾けられているんだとは思います。でも、今の学生に当時と全く同じような経験をさせるべきだとは思わないんです。OBの中には『坂本、ちょっと緩いんじゃない? 昔のような活動を復活させるべきでは?』という意見もあるんですが、それは学生が決めることだというのがボクの考えです。選択肢としてこういうやり方もあるんだよということは提示しますが、後は学生たちの意志を尊重します。他のサークルと掛け持ちしたいならそれもありです。毎週の練習に参加したければすればいいし、休みたいときは休めばいい」
艇長を務める2年生の岩本さんにしても、ヨットに乗り始めてまだ1年足らず。クラブを引退した4年生でも土日だけの練習では一人前のヨット乗りというにはまだまだヒヨッコ。海上練習の間、坂本監督は学生たちにアドバイスを送りますが、経験の浅い彼らにはなかなかうまく伝わらず、坂本監督は練習中しゃべりっぱなしです。しかし、坂本監督は決して声を荒らげることはありません。今回は丸一日海上練習を取材させていただきましたが、たった一日の練習でも学生たちのシーマンシップは確実に向上しているようです。
「各学年に4~5人の部員がいれば学生たちで技術の伝承ができるんですが、部員不足の現在は我々OBが介入しないと安全を担保できませんから。でも、4年間の間に見違えるように成長して逞しくなっていくのを見ると、まあやっていてよかったとも思えるので」と坂本監督。
午後2時をまわった頃「よし、じゃあ次のジャイブ(追い風でセールを左右に入れ替えての方向転換)が決まったら帰港しよう。失敗したらもう一回だからな」という坂本監督のかけ声の後〈くろしおV〉はこの日いちばんのスピンジャイブを決めて見せました。
小網代湾の所定のポンツーンにヨットを舫うと、部員たちは素早くセールをロールしてキャビン内に収納し、手漕ぎボートの足舟で岸壁へと戻ります。思いのほか手際がいいなあと感心していると「この後、京急で品川に行って、みんなで艇長の岩本さんの誕生日パーティーをするんです」とのこと。
キャビン内に折り重なるように寝ていた坂本さんの現役時代からすると考えられないほど軽やかで楽しげにクラブライフを満喫する学生たち。昔のオールドボーイズから見ると物足りなく感じられるかもしれませんが、来年創部70周年を迎える伝統のクラブを担っているのは、他ならぬ彼らなのです。
この伝統あるクラブがこの後どのように変化し、どのような歴史を紡いでいくのかちょっと愉しみです。