がんばれ、ハーバータグ!【Column- 潮気、のようなもの。】
5月のある日、東京湾でスズキ釣りを日がな一日楽しできました。風も波も穏やか、釣果はまずまずで、とても満足。おそらく多くの人が抱く、いわゆる海の魅力とは趣を異にするかもしれませんが、この東京湾は、実はなかなか楽しいのです。魚種も豊富で季節によってさまざまな釣りが楽しめます。東京湾に流れを注ぎ出す隅田川、荒川、さらにそれらを結ぶ運河や小河川をボートでクルージングすることだってできます。ロックゲート(閘門)もところどころにあって、ヨーロッパ辺りの運河をクルージングしているかのような気分が味わえます。羽田空港の近くでは、ボートのデッキから手の届きそうな高さでジェット機が離着陸を繰り返します。本来は静かな海に響き渡る轟音は、これもまた非日常の世界で、ワクワクします。
そして、船の交通量が多いことも楽しさを増す理由のひとつです。もちろん、航行には慎重さが求められるのですけど、さまざまな種類の船が行き交い、普段は見ることのできない働く船の姿を目にすることができるんです。この日は川崎の沖にある京浜川崎シーバースに大型の原油タンカーが接岸するシーンに出会ったので、しばらくの間、リールを巻く手を休めて眺めていました。タンカーの横腹にはタグボートが数隻、ひっついていて、係船設備に向けて押しています。タグボートの船尾には推進装置が作り出す水流が白く泡立つように巻き上がって見えます。タグボートにとっては日常的な業務なのでしょうが、私には彼らが一生懸命に見えるのです。
「おー、働いとるなあ。頑張れ!」
なんて、口にはしませんでしたけれど、海でタグボートを目にすると、こんな風にテンションが上がります。
一冊の絵本を思い出します
子どもの頃、「ちびっこタグボート」(学習研究社)という絵本を好んで開いていました。船が好きになるきかっけになった、というほどの体験ではないのですが、少なくとも、「船という乗り物に対する意識」という点で、もっとも古い私の記憶です。
絵本の主人公はいつも遊んでばかりの怠け者の小さなタグボート。他の船からは嘲笑の的です。ところがある日、近くで大型船が難破し、その小さな体を生かして救難に大活躍する、というストーリー。
実際に海でタグボートを目にすると、いつもこの主人公のキャラを重ねてしまうのです。
「ちびっこタグボート」はアメリカの絵本作家、ハーディー・グラマトキーが描いた絵本です。絵本にあった紹介文によると、自宅のアパートから眺めた、ニューヨークの港のハドソン川沿いを行き交う大小さまざまの船に目をとめ、そんな光景をスケッチしながら構想を得たのだそうです。タグボートの容姿はどこか人を引きつける魅力があるのでしょう。
「Salty Life」で創刊時からイラストを描いてもらってきたTadami(タダミ)さんもタグボートファンのひとり。Tadamiさんはその「タグボート好き」のあまり、タグボートをキャラクターとしたボートをデザインし、物好きな(笑)ヤマハのOB技術者たちの手を借りながら実際にボートを造り上げてしまいました。
「港湾で働くワークボートの中で、ハーバータグのスタイルが一番気に入っています。時代と共にタグボートのデザインも変わりつつあるけど、90年代くらいまでのタグボートには外見から人格さえ感じられて、トラッドでパワフルで、意外にスタイリッシュなところが好きなんです」(Tadamiさん)
はたらくボートに人格を感じる?
Tadamiさんの言う “ハーバータグ”とは、タグボートの中でも、小回りのきかない大型船の出入港や作業を手伝ったりするタイプ。本来、タグボートとは「曳船」を意味しますが、それだけでなくさまざまなタイプがあり、曳くだけではなく、押したりもします。いずれにしろ並優れた推進力を要します。
私がその日、東京湾でみかけたのもハーバータグでしたが、写真に写っている「扇丸」と「翼」はいずれも21世紀に入ってから造船された新鋭のタグボート。そこには「ちびっこタグボート」のイメージはありません。そして、その無骨な見た目とは裏腹に、たとえば「翼」は、従来のディーゼルエンジンだけでなく、モータージェネレータと高性能バッテリーがディーゼルをアシストする「ハイブリッド型」推進器を搭載するなど、最新技術を採用した新鋭船なのです。Tadamiさんのいうように、そんな船たちに「人格」を重ね合わせると、見ていてますます楽しくなりませんか?
小さな者でも、ふだんはどこかぴりっとしない者でも、やるときはやる。活躍する場がある。「ちびっこタグボート」は多くの子どもたちの勇気や希望を奮い起こしてきたのではないかと思います。その体のすべてを使って、自分の何倍もの大きさの船を少しずつ動かしていくタグボートを見ているとそんなことを考えてしまいます。
「タグ=Tug」という英単語は「引っ張る」「強く引く」という意味です。そして、それと同時に「苦闘する」「努力する」という意味もあるのです。私にとってのタグボートは、なんとなく後者のイメージの方が大きいのですよね。
田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。東京生まれ。