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毎朝5キロ走った砂浜と、その海の向こう側【海での時間 - vol.3】

「#海での時間」のコンテスト開催にあたって、

ヤマハ発動機社員も、みなさんと海での時間を分かち合いたい!

ということで、「ヤマハ発動機社員がつづる#海での時間」と題し、社員のリレー投稿を実施しています。

第3回は、入社以来ずっとマリン関連のお仕事をしている、入社8年目の男性社員Nさんです。

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僕は神奈川の海沿いの地域の出身なので、小さい頃から海に関する思い出は多い。

公園と言えば近所の海浜公園だったし、海岸沿いには歩道も整備されて、小学生くらいの頃は海で毎日遊んでいた。

中学ではバスケ部に所属していた。クイックな試合展開に対して、いかに最後まで走ってプレイしていけるか、粘り強い体力が必要となるバスケ部。
そんな体力を培うための朝練として、砂浜を5キロくらい走る『浜ラン』なるものがあった。

これが意外と戦略的で、乾いた砂浜を走ると足を取られて中々前に進まないのだけれど、ところどころ生えてる植物の近くは根が張っていて地面が固まっているのでそこを狙って走るやつとか、リスク覚悟で波打ち際を走って夕方までずぶ濡れで過ごすハメになるやつとか、当時はいかにして楽に完走するかということに命を懸けていた。

でも、いつも一番は真面目に乾いた砂を走破するHくん。やっぱり積み重ねた鍛錬は裏切らないのです。

相模湾を見渡すと、時々うっすら島が見えることがあって、海の向こうには何があるのか語り合ったのもいい思い出。

「海の向こうはアメリカだから、天気が良いと見えるのかも?」
「いやいやこの方角は南だから、きっとオーストラリアだ。」
そんな話で盛り上がっていた。

今思うとあの島は間違いなく伊豆大島だけど、知らないってことは想像の余地があるってことだから、昔の人は海の向こうや夜空の星に色々な想像(妄想)を託したのでしょう。

Hくんはその頃からの夢が叶って今はアメリカで研究者になったらしいけど、あの頃想像してた世界と比べて現実はどうだったかな?逆に今度は遠い日本の生活を思い出して想像を膨らませているのかな?

海の向こうはいつでも未知の世界で、きっとご先祖様たちもそうやって新天地へ旅していったのでしょう。
21世紀を生きる我々も、そんな冒険心は忘れずに生きたいものです。

(NU)

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