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ひとを再生させる灯台。 【キャビンの棚】

 Oc W 8s 29m 8M
 (単明暗白光 明6秒暗2秒 灯高29m 光達距離8海里)
 この灯台の灯質略記を見て「あそこだな」と分かる人がいるでしょうか。まあ、ありふれた光り方ではあります。2010年に廃止になった東京灯標のものなんですが、仮に現役時代であったとしても、東京港玄関口のシンボルであったこの灯標の略記を、わざわざ海図で確かめる人もいなかったでしょう。

 ところで、「灯台どうだい?」というマニアなフリーペーパーを発行している女性がいます。不動まゆうさんです。創刊号が2014年ですから、もう10年にもなりますか。カリスマ灯台女子です。何年か前に一度、話を聞かせていただいたことがあります。彼女が灯台にハマるきっかけになったのが、この東京灯標だったとか。なんでも、とある傷心のため海を眺めにやって来た潮風公園。この公園はフジテレビなどがある臨海副都心のお台場先、東京港西航路を望む海辺の公園です。
 そこで日が暮れると、彼方の東京灯標に光が灯った。ひなが、いや、よながか、8秒毎に律儀に明暗を繰り返す白い光を見ていると、心がどんどん癒されていって…。それから日本中の、いや世界中の灯台を追いかけるようになったそうです。

 そうなんですね。灯台の光というのはどうやら、航行船舶だけを誘導するだけではないようです。今回紹介する小説の中で、主人公はつぶやきます。

“凛々しくて頼りになる武将みたいだ。戦況が敵に有利なほうへ変わろうが、味方が押しぎみに攻めようが、陣幕の前にどかっと坐って動かない武将だ。”

 還暦をわずかに過ぎた主人公の康平は旧板橋宿の商店街で中華そば屋を営んできたのですが、おしどり二人三脚でやってきた妻、蘭子が急逝してしまいます。ひとりでは店を切り盛りできないと”引きこもって”2年、趣味の読書にふけるある日、ページのあいだから30年も前の妻宛ての葉書がはらり。

“大学生活の最後の夏休みに灯台巡りをしました。見たかった灯台をすべて見て満足しています。”

 という文面とともに〈どこかの岬らしいジグザグの線〉が描かれています。主人公は、この葉書が来た当時を思い出しました。
 妻が書いた〈私はあなたをまったく知らない。あなたはなぜ私の住所氏名をご存じなのか〉という返信を投函したのは自分だった。再度の手紙はなく、そのまま忘れてしまっていた。妻にはなにか隠していた秘密があったのか…。
 そんな折、人生の恩人とも思っていた幼馴染も突然亡くなります。康平は〈なんでもいい、理由をつくって外へ出よう〉と、ひとり声に出してこう言います。

“灯台を見る旅を始めるぞ。”

 まず、房総の洲埼すのさき灯台から野島埼灯台犬吠埼いぬぼうさき灯台への旅は思いがけず京都の大学へ在学中の次男が同行することに。次に名古屋に赴任中の長男を訪ねがてら伊良湖岬いらごみさき灯台安乗埼あのりさき灯台大王埼灯台へ。そして、同居しているOLの長女と珍しく近所の焼き肉屋で晩酌をともにするなど、子どもたちとの久しぶりの会話の中で、主人公が知らなかった妻の姿が浮かび上がってくるのです。
 さらに、死んだ幼馴染の”隠し子”が途中から登場し、青森の龍飛埼たっぴさき灯台尻屋埼しりやさき灯台へ。

 旅の中で、主人公は”出てきた”亡き妻とも会話を繰り返し、中華そば屋の再開を決心していきます。全体を通じて再生の、いや再出発の物語でしょうか。最後は、妻のなぞが解かれ、主人公は日本一ノッポの出雲日御碕いずもひのみさき灯台で〈夏物のセーラー服姿の蘭子に敬礼〉します。

 なぞ解きの要素もあるので、紹介はこのくらいに。ちなみに、地名が「……岬/崎」でも、灯台名は「……埼/碕」というなぞは、読者のみなさまに残しておきましょう。

「灯台からの響き」
著者:宮本輝
発行:集英社文庫
価格:990円(税込)

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