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漁師にとって海とは何か、船とは何なのか。 【ニッポンの魚獲り】

今回はこれまでの“魚獲り”から少し視点を変えて、岩手県宮古市でホタテ養殖に従事する、ひとりの青年漁師のお話をしてみます。彼は船と仕事をいちどは奪われ、失いながらも再起を果たし、今は海というフィールドで思いきり活躍しています。

岩手県宮古市の日出島漁港をベースにホタテ養殖を中心に“海の事業”を営む平子昌彦さん

漁師への転身、失意、そして再起

 もともと岩手県盛岡市で会社員として暮らしていた平子昌彦(たいこ まさひこ)さんが漁業に興味を抱くようになったのは、奥様の実家である宮古に帰省するたびに、家業のホタテ養殖の作業を手伝うようになってからのこと。26歳の時に意を決し、内陸の盛岡から三陸海岸の宮古に移り住み、本格的に義父のもとでホタテ養殖に取り組むことになりました。

 「仕事は会社勤めより断然面白い。ストレスはないし、頑張れば収入に反映される。もちろんサボれば、それも100%自分に返ってくる。もともと脳天気なもので、仕事にも住環境が変わることにも不安はなかったですね」(平子さん)
 ところがその5年後、東北地方に未曾有の災害が襲いかかり、平子さんは養殖施設と船を失ってしまいます。それどころか親方であった義父が津波被害で行方不明に。
 「養殖業ではまだ“見習い”という立場でいろいろなことを教えてもらっている最中で、自立できるレベルではなかったですね。震災後の6ヶ月間は瓦礫撤去のバイトをしていました。我ながら“性に合わないな”とは思っていました。そんなときに港の施設が復旧するということになって、漁師に戻る決心をしました。復帰するなら“今しかない”、そう思いました

浜では仲間たちと支え合う

 浜にはすでにホタテの採苗をして養殖をはじめている漁師さんたちがいました。平子さんは、その仲間に加えてもらい、漁師への復帰を果たしました。共同利用船(震災後に漁業復興支援として供給された)の小さな和船からの再スタートです。

船長としての誇りをみなぎらせてくれる船

 震災から今日までの10年間、平子さんは懸命に働きながら、漁業という“事業”の新しい形を模索してきました。もともと会社員をやめて転職する際、「この事業にはまだ伸ばせる余地があるはず」との読みと信念もありました。
 目の前に広がる海という資産をどのように生かすか。宮古と浜をどのように活性化させるか。平子さんはホタテ養殖だけでなく、ホタテの作業用和船を使って遊漁事業(お客様を乗せての釣り船)にも乗り出します。事業は軌道に乗り、2018年には、事業を株式会社隆勝丸として法人登録。そして2021年にヤマハのDX-51A-0B〈隆勝丸〉を自己資金で進水させました。

平子さんが新造、2021年に進水した〈隆勝丸〉

 「最初のうちはもう少し小さな船を購入するつもりだったんですけど、ホタテ養殖で活況のある青森の陸奥湾に見学に行かせてもらい、そこで現地のホタテ養殖業者の方々に強く勧められてこの大きさに決めました。結果的に大正解でした。作業スペースは広く、まったく揺れない。遊漁で釣り客を乗せていても安心です」
 新しい〈隆勝丸〉には女性のお客様をも意識して個室トイレを設置。電動リールに対応する電源も設備するなど、ホタテの作業・運搬だけでなく、遊漁船としても完成度の高い漁船となりました。

 新しい漁船が進水したとき「それは嬉しかった」と平子さんは振り返ります。
「資金面においても一隻の漁船を造るのは、新たな家を建てるようなもの。誰よりも義父おやじが喜んでいるに違いない」
 船頭としての新たな自覚が芽生え、自信もみなぎりました。

育成中のホタテは密植を防ぐため大きさによって籠を移し替える

 養殖・遊漁に加えて、ホタテをはじめとした海産物のネット販売、さらにはホタテ養殖の体験ツアー、小中学生を対象にした職場体験の提供を行うなど、平子さんは、マリンレジャーをも含めた新たな漁業経営のあり方と地域振興を模索し続けており、意欲的な姿勢を崩しません。

 この真新しく美しい漁船には、ホタテだけではない、載せたいものがたくさんあるのです。

ヤマハ発動機では、社会課題の解決に向けたさまざまな取り組みを紹介するSDGs映像シリーズ「FIELD-BORN(フィールド・ボーン)」を公開しています。その第3弾「海の恵みをわかちあう」編では、平子昌彦さんと海、そして漁船とのつながりを取り上げています。ぜひご覧ください。


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