Sea-Style悠久の時を感じる水郷ボーティング【ヤマハマリンクラブ・シースタイル】
茨城県の太平洋側に位置する霞ヶ浦は、琵琶湖に次ぐ面積を持つ湖です。古くは太平洋と繋がっていた海跡湖であり、一般的には西浦のイメージが強いですが、北浦、西浦、外浪逆浦、横利根川、鰐川、常陸利根川の各水域の総称を霞ヶ浦と指すそうです。
今回は季節によってさまざまな景色が楽しめるこの霞ヶ浦を訪れました。
広大な霞ヶ浦を楽しむには、シースタイルのホームマリーナである水郷ボートサービスが便利です。常陸利根川に接する同社から西浦まではわずか10分ほど。また反対側にボートを走らせれば外浪逆浦や鹿島神宮の一の鳥居がある鰐川なども、1時間も掛からない距離と、いろいろなクルージングコースが選べます。
今回は常陸利根川から横利根川を経由して利根川へ出るコースへ。常陸利根川からボートを走らせ、まもなくすると横利根川に入ることができます。この横利根川は、水面よりも若干高いぐらいの川岸のため、視界が広がり自分が景色と一体となるような錯覚を覚えるほど。スピードも徐行になるので、どこか牧歌的な雰囲気に包まれている不思議な雰囲気を味わうことができます。
この辺りは古くから舟運が発達して、その様子は江戸時代の文献にも明記されているほどなのです。少し横道になりますが、もともと利根川は隅田川に流れていたものを、治水、利水目的で現在の銚子の河口に移しました。これが利根川の東遷と言われる事業で、家康の構想の下で行われ、利根川の流れは隅田川から江戸川、そして現在の利根川へと変遷していきました。当時はまだ船が帆で走る時代で、物流の大動脈を担っていた船は、銚子沖や館山沖を回る海路は事故が多く、また風向きによっては直接、東京湾に入れなかったため、この霞ヶ浦の水路を利用して江戸まで運ばれるルートが重要だったのです。このため、霞ヶ浦一帯は陸路が発達するまでは舟運がメインとなり、水辺の近くの街は賑わいをみせていたそうです。
また水との関わりは地名にも見られます。万葉集にも記されている外浪逆浦は北浦や霞ヶ浦(西浦)に比べれば、その大きさはわずかばかりですが、潮汐による海水の逆流により逆波が立つことから名が付けられ、鹿島神宮に接するこの湖を中心に、北浦、また北浦の西に位置することから西浦と名付けられました。古来の物流の路である水上を移動すると、その土地の名前や言い伝えなどなるほどと思うことが多々あります。外浪逆浦には潮来という地名がありますが、これも「潮が来る場所」という自然現象から名付けられました。(※諸説あります) また鰐川の鰐は当時のサメを指しており、この場所でサメが見られたそうです。現在では水門によって遮られていますが、大潮の満潮時には海水が逆流する光景が当たり前のように見られていたようです。
こうした自然の変化の中で人々が暮らしてきたことで、それに適応するさまざまな道具が発達し、舟運や漁業が栄え、結果として豊かな水上の文化が育まれてきました。
春の花見に始まり、バス釣りにウェイクボード、夏から秋にかけての週末は観光帆引船も見ることができます。周囲には鹿島神宮、香取神宮、息栖神社といった東国三社の他、小野川の街並みなど、ウィークエンドクルージングを楽しむには理想的な環境が揃っています。歴史と自然を感じるクルージングで広大な霞ヶ浦のゲレンデを楽しんでみてはいかがでしょうか。