海洋国家の人々は魚が好きなんだ。 【Column- 潮気、のようなもの】
世界中のフットボールファンが熱狂するワールドカップの準々決勝でポルトガルが敗退してしまった。彼らの英雄であるクリスティアーノ・ロナウドは涙を流しながらロッカールームに引き上げたという。残念。応援していたのに。なぜって、好きな海のある国だから。
ポルトガルが敗退してしまった2日前のことだが、あるイベントでボートに乗り合わせたフォトグラファーさんが、最近ポルトガルに行ってきたのだと教えてくれた。「ヨットにも乗せてもらった」と、スマホに入っていた写真を見せてくれた。恰幅のいい、かっこいいオールドソルトの姿がそこにあった。
「ところで魚食べましたか?そこら辺で煙立てて焼いてるやつ。うまいやつ」
「食べました、食べました、最高でした!」
ポルトガルで食べる魚の炭火焼きは最高に美味い
そうなのだ。魚が美味いのだ。ポルトガルの人々はフットボールに熱狂するばかりでなく、魚にも熱いのだ。懐かしくなって、以前、ポルトガルを訪れたときの古い写真をかき集めてみた。たしか、それこそフットボールの欧州選手権がポルトガルで開催された年だったように記憶している。クリスチアーノ・ロナウドはまだ少年だったはずだ。そしてルイス・フィーゴが時の英雄だった。
地方の浜辺のそばの小さな町の小さな食堂。リスボンの路地裏の食堂。それらの軒先に炭火がおこしてあって、イワシやアジやタイのような魚を塩焼きにする。付け合わせのポテトと美味い米。もちろんパンも。そしてワイン。北へ行っても、南へ行っても、こうした魚を出してくれる食堂がたくさんある。さらにマリーナに面したちょっと小洒落たオープンテラスを持つレストランでも、魚の塩焼きがメインディッシュだったりする。
うまいシーフードはいつまでも記憶に残る。タヴィラ(ポルトガルの南部)のレストランで海の仲間に招かれ、大人数でテーブルを囲んだときのイワシの塩焼き、エスポセンデという漁師町の北の岬に立つレストランで馳走されたエビのグリルやボイル、貝料理の愉しさも忘れられない。そして“干し鱈”を使った料理もポルトガルの味だ。
そんな魚が美味い国で魚を獲る漁師の船に乗せてもらった。
当時(15年ほど前の記憶)のポルトガルは、小型専用の港自体が少なかった。ポルトガルの最北部に位置するエスポセンデでは、多くの漁師が、砂浜からトラクターを使って船を引き上げていた。この小さな町で暮らし、漁業を営む男のボートに乗せてもらった。
夜の明ける前から開いている浜のそばのベーカリーで待ち合わせた。その店内の雰囲気は、最も強烈な旅の思い出だった。
小さな店のテーブルは寡黙な漁師たちが占領していた。男たちはただ押し黙って、コーヒーをすすりサンドイッチを食べていた。魚獲りたちは、魚を食べていなかった。腕時計をちらりと見て漁師は「行こうか」と両手を使ってキャップを目深に被ると、まだ暗い店の外へと出て行った。その所作がいちいち、男の私がうっとりしてしまうほどかっこいいのだ。
ボートに乗って沖へ出て、仕掛けていた刺し網を次々にあげていく。漁は今ひとつ。漁師は少しだけ、申し訳なさそうな顔をした。曙が訪れた。朝日が少しずつ丘を赤く染めていく。その丘に、まるでレースのカーテンをなびかせるような朝靄がかかっていた。これまでに見たことのない、美しい朝だった。
ポルトガルの奥底に宿る海への憧憬
首都・リスボンをゆったりと流れ、大西洋へと注ぐテージョ川。多くのポルトガル人にとって、それは単なる「川」を超えた存在であるようだ。ポルトガルが世界に誇るファド・シンガー、アマリア・ロドリゲスが、また、ポルトガルへの愛を掲げながら、日本でも静かな人気のあるマドレデウスも、テージョ川に望郷を重ね、美しく歌い上げていることからもわかる。
河口には、16世紀前半に河口からの侵略者を見張る目的で建設されたというベレンの塔が建つ。大航海時代、この前をどれだけの冒険者たちが夢を抱いて通り過ぎたのだろう。そのことを思い起こさせるがごとく、すぐ近くには、エンリケ航海王子の死後500年を記念して造られた冒険者たちのモニュメントがある。王子を先頭にヴァスコ・ダ・ガマなど27人の冒険者たちが一つの船に乗っている様は、大西洋の遙か沖に思いを馳せた、この国の人々の気質を表しているようだ。
ポルトガルの漁村で丘の斜面に漁師の番屋が小屋が点在する地域がある。その小屋は、他の国のそれとは異なり、海を背にして陸に向かって建っていると聞いた。つまり、ポルトガルでは海とは楽しむものでなく仕事場だった。彼らの海との関係は、探検と漁業によって築き上げられてきたのだった。そして今がある。楽しい海がある。
悲願のワールドカップ優勝はお預けとなってしまったが、この国のベースにある、視線を沖に向けた冒険心とチャレンジスピリットはきっと永遠のものだ。チャンスは永遠にある。