天空の海を、そっと渡る。 【Column-潮気、のようなもの】
南米のチチカカ湖の畔にあるホテルで数日滞在したことがあって、それは拙子が自慢できる、数少ない「体験」なのではないかと思うのだけど、ネットをまさぐっていると、同じような体験をしたことのある人が、当たり前のように数多くいることに気づかされる。このnoteにも、チチカカ湖についての体験と素敵な写真がたくさん掲載されている。日本人にとって地球は、ずいぶんと狭くなってきているのだと思う。考えてみれば個人で宇宙にだって行ける時代なのだ。
でも、この湖を水上オートバイ(ヤマハ発動機ではウェーブランナーという)で走ったことのある人はそうはいまい。やはり自慢してもいいのかもしれない。拙子の知る限り、日本人では過去に高野さんという男性が体験している。高野さんは、なんとブラジルから水上オートバイで川を遡り、このチチカカ湖まで到達するというとんでもないことを成し遂げた。冒険家のなすことに、大義など不要だと考えているし、だからこそ、魅力があるのだと思っている。もっともらしい理由をつけるとどこか胡散臭くなる気がする。
チチカカ湖は、ペルーとボリビアをまたいで水を湛える淡水湖だ。ふだん私たち(“海の男”などと粋がっている種族)の活動の場は、ほとんどが海抜ゼロメートルのエリアである。ところが、チチカカ湖は海抜3810メートルという高地にある。高原の湖にフネを浮かべることは珍しくはないが、やはり富士山よりも高いところをクルーズするというのはかなり特別なことだろう。ここには観光船も走っているが、チチカカ湖は世界で最も高地にある、動力船が走る湖とのことだ。
薄い空気と紺碧の空
チチカカ湖へは、ペルーのリマを経由して行った。飛行機が大幅に遅れ、アンデス山脈の東に座するフリアカの空港に着いたのは、日本を発ってから36時間後だった。なかなか疲れる。
タラップから地上に降り、標高3800メートルの地に足をつけると、その時点で「これはまずい」という不安に襲われる。後から聞くと、同行したみんなが「これはまずい」と思ったらしい。低地から一気に高地に移動したもので、なんというか、気圧の低さ、酸素の薄い空気に体が落ち着かない。物音が普段よりも遠くに聞こえるような気がする。どうにも光が目に眩しく、日本では景色が薄暗くなって鬱陶しくさえ感じるサングラスを仕方なく目に当てた。いわゆる「高山病」対策は、日本のクリニックで処方してもらったダイアモックスなる錠剤を前日から飲むことで済ませていたつもりだが、それでも身体が少なからず異変を覚えるのだから侮れない。身体が酸素を欲せずに済むようにと、なるべくしとやかに動くようにしてみた。効果があるかなんてわからないが、自然とそうなるんである。
体調についての結果を申し上げると、滞在中は無事を通せた。それでも平地からここに集った10名のメンバーのうち2名はダウンした。食事もろくにとれない有様で、高地での滞在をベッド過ごすこととなった。無事だったのは、ダイアモックスを飲んでいた日本人の3人と、「高山病なんて知らんわ。俺たちはどこにいたって元気だもんね」といった感じを、なにがなんでも発散しまくっていたプロのジェット乗り(水上オートバイのライダー)たちだった。
遊び場の拠点はフリアカから50kmほど離れたプーノという町の、湖畔のホテルである。到着し、車から降りて空を見上げると、これまでに見たことのないような透き通った群青色の空が手に届きそうなところに広がっていた。眩しい純白のホテルの建物に背を向けると鮮やかに彩られた花壇の向こうにチチカカ湖が見え、さらにその向こうの山肌にはプーノの町並みがあった。町にはほとんど色がなく、山を削って作りあげられた彫刻のような佇まいをしていた。でも、それがとても素敵だった。
プーノは22万人もの人々が生活する都市である。いわゆる県庁所在地で、都市自体は17世紀に建設された。周辺には13世紀に成立したインカ帝国にまつわる史跡が点在している。この山脈に成立していたアンデス文明の歴史が紀元前7500年からというから驚きである。なぜ、このような高所に文明が成立したのか謎であるが、原住民は平野の暮らす人間に比べて肺活量が大きく、心拍数は少なく(静かに動いていたのは正解だったのかもしれない)、血液の量も多かったのだという。最初からヒトとしての出来が、自分とは違うのだ。
ホテルのレストランで夕食をとった。日本を出てから久しぶりの食事らしい食事だった。仲間の2人はアルパカのステーキを注文した。「これ、柔らかくてなかなか旨いよ。臭みもないし」などと感動している。ホテルの目の前の湖畔を歩いていたアルパカたちの愛くるしい瞳を思い出し、高山病を煩うこともなく元気に食事をしている仲間の健康を彼らに感謝した。
標高3810メートルの奇跡
チチカカ湖の面積はおよそ8171キロ平米。日本の都道府県でいうと兵庫県より少し小さく、静岡県より少し大きい。ボリビアとペルーにまたがる広大な湖の水は、複数の川から注がれ、さらに川を通って他の湖へと流れていくが、海へはつながっていない。なぜ水があふれないのか不思議だが、気温が低いにもかかわらず、乾期の湿度がかなり低いために水の蒸発量が多く、年間にわたってほぼ同じ程度の水位を保っているということらしい。チチカカ湖を訪れたのは、南米では冬に当たる季節だったが、晴れた日中はTシャツでも過ごせるほどの陽気である。といっても湖の水温は9度ほどで、湖上に風が吹き始めると体感温度は一気に下がる。この標高3810メートルの湖を船外機を搭載したボートで走る。平地から持ち込んだマリンジェットで走る。平地に比べると酸素濃度は60%ほどだ。電子ライターの火もつかないところで、最初は無理ではないかと思っていた。それでもエンジンは始動し、ボートもジェットも走った。トラブルは起きなかった。
湖上に暮らす人々
我々が企画した、この酔狂なツアーにリマから参加したライダーと、(ジェットはリマから距離にして1300キロ、3800メートルの高低差をトレーラーに積んで運ばれた)、日本人、そして現地のガイド役が、そんな湖に浮かべた2隻の小型ボートと2隻の水上オートバイに分乗して、プーノからほど近い、ウル族(ウロス)が暮らすウロス島を観光した。
チチカカ湖の最大水深は285メートルとされているが、プーノの周辺は遠浅で、ウロス島へと向かうまでは、トトラという葦に似た草を刈り裂いて、湖底を浚渫した水路が整備されている。観光船はこの水路を通る。浅瀬走行が得意なマリンジェットでさえ、水路から外れると、吸水口から土砂を吸い込んでしまい航行不能に陥ることを、身をもって体験してきた。
トトラの水路を通り抜けて、細長い形をした湾に出ると、そのトトラや木材を使って建てられた家屋がぐるりと湾を囲んでいる。舟屋で有名な伊根(京都)の風景に少し似ている。家屋の土台は同じくトトラを束ねて作られた浮島である。よく見ると、一つの島にいくつかの家が建っていて、そんな島が連なるようにしていくつも浮いているのだ。これらが、総じてウロス島と呼ばれているのだった。ときどき、トトラで造られた舟がつながれているのを目にする。なにからなにまでトトラだ。水の上に黄金色をした色のトトラの島があり、その上に碧い空が広がる風景は震えるほど美しい。その風景の中で、赤や緑など色鮮やかな服をまとった人々が船で通り過ぎる我々に笑顔で手を振る。ウル族の人々は、我々のような観光客を相手に伝統文化を披露し、土産物を売り、民宿を経営するなどして生計を立てているのだった。また島には教会や医療施設、学校もあって、子どもたちは船で通学している。
島の一つに上陸してみると、トトラを束ねた地面がふわふわとしていて最初は不安になるが、慣れてくるとその柔らかで優しい足下の感触が心地よくなってきて「しばらくここに滞在するのも悪くないな」と思ってしまう。
なぜウル族が湖の上に島を造り、そこに暮らすようになったのか。現地で得た観光パンフレットによると、文明勢力の支配から逃れて湖上に島を造り、暮らし始めた、とある。いまでは島を離れていく者も多いが、それでも延々とここに暮らし続けているのは、案外と快適だからなのかもしれない。
ブルネイ(東南アジア)のカンポン・アイールと呼ばれる広大な水上都市を訪れたときも同じような感想を抱いたものだった。当時、カンポン・アイールに暮らす人々は、政府から「陸に住め」と言われていたらしいが、そこを動かないでいた。
リゾートでわざわざ水上に建てられたコテージに泊まりたがるほど、人は、水の上にいることを好む。少々無責任な放言かもしれないが、非日常と日常という差はあるにしろ、彼らもきっと水の上の暮らしが気に入っているのだ。
とはいえ、チチカカ湖に暮らすにはやはり強靱な肉体が求められる気がする。我々には過酷すぎる。天空の海での体験はたしかに素敵ではあったが、数日して平地に降りたときは、どこかほっとした気になった。海沿いのリゾートのテラスから海を眺めながら、やはり海抜ゼロメートルこそ、俺のいるべき所だぜ、なんてことを考え、そして、翌日はボートで島へとクルージングしたのだった。