見出し画像

タコの習性を活かした伝統的なタコ壺漁。 【ニッポンの魚獲り】

 本州と四国の間、瀬戸内海にむけて九州から丸く突き出た国東くにさき半島。江本英樹さんは盆踊りで知られる姫島を望む、この半島の北部、国見町で生まれ育ちました。水産高校卒業後に、実家の漁業を継ぎ、〈竜英丸〉を駆り、海に出る日々を過ごします。

 竜英丸では時期によってヒジキ、ワタリガニ、潜水によるナマコの漁など多岐にわたる漁が行われますが、その軸となるのがタコ壺漁

 タコ壺漁は弥生時代から始まったとされる原始的な漁です。餌を求めてタコが壺に入るということもありますが、逃げ場の少ない場所ではタコ壺が外敵から身を守る格好の逃げ場となり、一度入ると逃げようともしなくなるのだそうです。

 仕掛けるタコ壺は数カ所に分散させますが、1日に700個から800個のタコ壺をぐぐり(引き上げる)、また、餌を仕掛けて海に戻していきます。この日もマダコの漁獲量はまずまずで、引き上げた壺のなかには型のいいマダコが高確率で入っていました。

 サイズがそろった良型のマダコは網に入れ海中に吊しておき、数が揃ったらまとめて出荷。タコは餌がなくなると自分の足を食べてしまうほど貪欲なのだそうで、一匹ずつ網に入れておかないとタコは共食いを始めてしまうのです。

 タコ壺で捕獲したタコの多くは仲買を通して出荷されますが、〈竜英丸〉では加工品も直売。天日干しで作られた干しタコは国東半島でも人気の土産品となっています。

 「タコ壺は割と重労働なので3人で海に出ていますが、時間はそうはかからず朝の内に漁は終わります。網漁と違って港に戻ってから漁具を修繕することもほとんどないので、時間には恵まれているんですよ」(江本さん)
 その時間を英樹さんは長年にわたって漁業活性化、地域活性化のための活動に充ててきました。こうした活動に取り組むのは魅力ある漁業を次世代の後継者へ繋いでいくために他なりません。

 ニッポンの魚獲りの文化はこうした一人一人の漁師さんの誇りや情熱によって継承されていくのです。

いい記事だと思ったら、ハートマークを押して「スキ」してくれると嬉しいです。 「スキ」すると、季節のお魚イラストが釣れるかも。今日は何の魚かな?