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訓練されたクルーが近くにいてくれることの幸運について 【Column-潮気、のようなもの】

 「体育会」とは要するに大学の各運動部が集まった組織体のことなだが、そこに身をおいた者の有様を「体育会系」などという。体育会所属の運動部における独特の上下関係の厳しさや、精神論などを実生活に持ち込むものだから、体育会系は、最近ではネガティブに捉えられることが多い。かくいう拙子が学生時代に所属していた外洋帆走系(セーリングクルーザー)のヨット部も体育会だった。で、実際に鬱陶しいと思われているたような気がする。
 最近は、学生たちも和気藹々とセーリングを楽しんでいるようであるが、私が学生だった当時は、理不尽とも思えなくもない出来事が多々あった。でも、クルーとして先輩たちに鍛えられながら、3年後にスキッパー(船長)として責任を負うことになる年功序列型システムは、どうしてなかなか良いシステムだったのではないかと、振り返って思うのである。

ある大学ヨット部の1年生クルーの場合

 多くの大学のヨット部のようなディンギー(小型ヨット)によるセーリングを主体とする活動とは異なり、セーリングクルーザーを運航するヨット部は、海の山岳部といった雰囲気であった。夏休みを使って、なるべく遠くの港へ行きたいと、練習を重ねた。
 クルーザーを安全に運航するために、乗員は、スキッパー(船長)以下、ナビゲーター(航海士)、ボースン(水夫長)、クルー(水夫)という立場が学年によって振り分けられた。

 平クルー(1年生)の仕事は忙しい。夜通し帆走してきて港に近づくと、オールハンズオンデッキ(All Hands On Deck=総員甲板に集合)である。船の入港時に座っていることは許されない。しまっておいたフェンダーを取り付ける。デッキ周りを片付け、舫いロープをコイルして整理する。いざというときにロープが絡まっていたりしたらとんでもないことになる。入港する際にデッキが散らかっているなどもってのほかだ。船は常に美しくなければならない。それは安全にも繋がる。

外洋帆走部のイメージ。
We are Sailing! でお伝えしたこともある千葉大学の外洋ヨット部の練習風景

 重たいアンカーをバウのアンカーウェルから取りだしてスターンへ移動し、レッコ(投入)の準備をする。実は普段からアンカーを担いでデッキを移動する練習をしているのだ。アンカーを打つと、舫いロープをもってステムから岸壁に飛び移る。横付けなどめったにしたことが無い。後からやってくる船のためになるべく係留スペースを開けておきたい。港ではいわゆる槍付けが基本である。それがマナーだと思っていた。

 舫いを調整して、船を確実に停めたら、一晩の航海で散らかった船室を整理する。セールを干してたたみ直す。さらに岸壁で湿った毛布を干す。先輩から「ちょっとペラ(プロペラ)見といて」なんて言われたら躊躇せずに海に潜って点検する。

 一段落すると次の航海のために買い出しに出かける。飯を炊き、食事の用意。汁物もおかずもしっかり作る。その後片付けと洗い物。
 今のように海上の気象情報をネットで気軽にリアルタイムで得られることの無かった時代であったから、9時、16時、22時には海を走っていようが港に停泊していようが、ラジオの気象情報を聞き取りながら天気図を作成していた。毎日、1回も欠かさない。1年間もやっていると天気図を眺めただけで、これからどんな風が吹くのか、だいたいの予想が付くようになる。22時の天気図を作った後は泥のように眠る。夏などは暑苦しいキャビンから抜け出して岸壁で寝る。
 薄暗い中、早起きをして出港準備。舫いを解き、ヨットを蹴押して出港。再び航海が始まる。セールを上げて進路が安定したら揺れるキャビンの中で朝飯を作る。昼飯も作る。そして夕飯も。
 1年生はこんなことを夏も冬も繰り返しているのである。

 2年生なるとボースンになる。クルーの責任者、いわば平クルーたちのまとめ役だ。いまでも「あいつは名ボースンだ」などという会話をオールドセーラーの会話なんかで耳にするが、これは素晴らしい褒め言葉。
 さらに3年になるとチャートワークを駆使してコースを決めるナビゲーターとなり、最後は船長になる。そしてそのときに実感するのである、仕事のできる下級生が、いかに頼もしく、船になくてはならない存在であるかを。

ボートでも一緒に働いてくれるクルーは頼りになる

 ヨットよりも、断然ボートに乗ることの多くなった今でも、信頼できるクルーにいてほしいと思うことがある。
 ある日、「ボートのオーナーやレンタルボートクラブの会員にもっと楽しく海で遊んでもらうためには何が必要か」なんていうテーマで話し合う機会があった。そのとき、語ってくれたあるレンタルボート会員の初心者は「ゲストを招待してデイクルージングをするときなど、マリーナに行ってからボートを出して、沖を走って帰港してゲストを送り出すまでの間、いかにそつなく1日を過ごすかで精一杯です。楽しいもへったくれもない」というような悩みを打ち明けていた。
 最初は笑って聞いていたが、ふと気づいた。この人にはクルーがいないのだと。航海の規模の大小もあるが、船を運航するのにクルーが不在というのは、けっこう辛いことなのではないか。

 ノルウェーのアレンダールで一緒に遊んだご夫婦。クルーワークの息もぴったり

 私の場合、先述したようにかなり特殊な体験を経てボートで遊ぶようになったので、この初心者さんのようなことはあまり感じることはないが、実を言うと、いつも一緒にボートに乗っている妻の存在は、かなり船長としての負担を減らしてくれている。彼女は免許こそ持っていないのだが、それなりに場数を踏んできた。

 負担を減らすといっても些細なことばかりである。喉が渇くと絶妙なタイミングでクーラーボックスから冷たい飲み物をカップについで渡してくれる。ゲストがいるときなどは特にその手の気を遣う。また、周囲に他の船舶が航行していないか、特に指示しなくても見張っていてくれる。出港すれば舫いロープを整理しフェンダーを取り込む。帰港の際はその逆だ。舫いロープを誤ってレールの上から渡すようなこともない。ボートフックも必要に応じて使いこなす。思い出してみると、さりげなく頼もしいのである。

フロリダで出会った父娘。一日遊んだ後、ボート洗いも一緒に楽しんでいた

 以前、遊びに行ったことのあるボート先進国と言われるノルウェーには、まさにそういう文化、というと大げさかもしれないが、スタイルが根付いているように見えた。
 クルージング中、食事をするために町の岸壁にボートを着けるとき、同行していたボートオーナー(船長)の奥さんは当たり前のように舫いロープを手にバウデッキに立ち、クリート結びも舫い結びもこなしていた。
 記憶をたどると、ノルウェーに限らず、そのようなシーンは海外の海辺でよくに目にしていたことを思い出した。
 オーストラリアのフリーマントルでは、オーナーの息子である少年が、やはり舫いロープを手に、父親と一緒に浮き桟橋の最適な場所にボートを移動させるのを手伝っていた。
 タヒチに停泊していたクルージング中のヨットでは、子どもたちが楽しそうに洗濯物を干していた。 

 ボートやヨットというのは、乗り物としていかに進化しようとも、「労働」を楽しむ遊びなのだということを思い出すのである。ともに働いてくれる仲間は大切だ。となれば、もっとも信頼できるクルーは家族なのかもしれない。

文と写真:田尻鉄男(たじり てつお)
編集・文筆・写真業を営むフリーランス。学生時代に外洋ヨットに出会い、海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海とボートに関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。

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