「山とは海の一部である」と考える、傲慢な海幸彦 【Column-潮気、のようなもの】
いつも思い、なんども書いてきたけれど、海というのは沖に出てしまうと、たいていは同じ景色だ。もちろん、波の大きさや風の強さ、光の当たり方、潮の色などによって表情は異なるし、どんな海でもそれはそれで素敵なのだけれど、ちょっとした長めのクルージングのときなど、ただ海だけが見える景色が延々と続くとなると、話が異なる。正直言って、少しばかり飽きる。
ふだん、人前では、さもストイックに海を愛しているように装ってはいるのだけれど、本当のところ「いつまで海を見ていても飽きない」などと胸を張っていえるほど、硬派な人間ではないのである。
山はいい。山に登る、ということではなくて、海から眺める山がいい。単調になりがちな海の景色に、特徴あるアクセントをつけてくれる。それに、山の形さえ知っていればGPSなんてなくたって自船がどこにいるのかわかる。なによりも、長い航海の末、水平線の向こうに見えてくる山は、航海者を安心させてくれる。大航海時代の船乗りたちだって、山が見えたときには、安堵したり、興奮したりしたに違いない。
山の姿に航海者は安堵する
これまでたくさんの山を海から眺めてきたけれど、特に印象に残っている山がいくつかあって、そのひとつが、マレーシア(ボルネオ島)のコタキナバルの海から眺めたキナバル山の姿だった。
キナバル山の標高は、およそ4095メートル。頂の形が特徴的だ。うっすらと霞がかった空に、はじめてキナバル山を見たとき「神々しい」というのはこのような有様を指して言うのだな、と思った。
この山の写真をもう一度撮りたくなって、十数年後にコタキナバルを訪れた。はじめてキナバル山を見たときよりもよく晴れていて、風が強く、条件はいいように思えた。盛大にスプレーを浴びながら、いささか不安を感じさせる乗り心地の悪い小舟を目当ての場所へと走らせたのだが、キナバル山はうっすらとも見えなかった。はじめてコタキナバルに来たときに撮ったキナバル山の写真を船長に見せて「俺はこんなシーンが見たいのだ」と説明したが、彼は「海からキナバル山はめったに見ることができないよ」と困った顔をして首を横に振った。そういうことは先に言ってくれまいか。山が見えない可能性なんて考えもせずに、はるばるボルネオまできてしまった。
フレンチポリネシアの雄・ボラボラ島のオテマヌ山も、いちど見たら忘れられない“海から見える山”である。標高は727メートルとキナバル山ほど高くはないが、存在感は抜群である。とにかく海から必ず見える。そして全周30キロほどの島を舟でぐるりと回ってみると、次々と山が形を変えていく。面白い。
ボラボラ島は、18世紀のはじめにキャプテン・クックが西洋人としてはじめて訪れた。が、その前に、アジアを起源とされるポリネシア人が、帆を張ったアウトリガーカヌーに乗ってやってきて入植している。クックも、初めてこの島にやってきたポリネシア人も、最初にこの素敵な山の存在を認めたのは、海からだった。嬉しかったはずだ。
山は海に浮かんでいる
さて、私は景色というものに感動して涙を流したことがいちどだけある。世界最大規模の瀑布「イグアスの滝」を見たときだった。標高195メートル。ここは山といえるのだろうか。わからない。そして、ここは海からは見えない。それでも、ここにやってきた目的は舟を撮ることだったし、結局は海について考えることとなる。
この莫大な水量が海へと注がれていくのか。それにしても、これだけの水がいったいどこから沸いて出てくるのか、なんてことを考える。考えてみたら、もともとこれらの水は、海水が水蒸気となって空に吸い上げられ、それが雨となって地に降り注がれているものであることに思いが至った。地球上のすべての水は、海から始まり、海に還るのだ。ん? 逆なのか? まあ、いい。
地球上、最も高い山は、標高8848メートルのエベレストということになっている。その逆に、人類が観測した最も深い海は、マリアナ海溝の10920メートル(±10メートルの誤差)だ。エベレストの山頂にヒトは立つことができたが、劇的・驚異的な進化を遂げない限り、ヒトはマリアナ海溝の最深部に立つことはできない。
そんな理屈をひねり出しながら、“そもそも山とは、それがどんなに高い山でも、海からその一部を覗かせているものであり、海の構成要素のひとつである。いわば巨大な岩礁なのだ”と結論づける。こんな風に、自然の偉大さに感涙したあと、その涙も乾ききらないうちに、傲慢な暴論を導き出したのであった。たかだか数百メートルの山にも登ることもできないヘタレなくせに。
そういえば、釣りがしてみたくなって兄・海彦(海幸彦)から借りた釣り針をなくしてしまった山彦(山幸彦)が、悩んだ末に正直に打ち明け、謝ったにもかかわらず、海彦は山彦を許さなかった、という古事記がベースの昔話がある。海の人間とは、かくも傲慢なのかもしれない。この物語の結末はというと、海の神様とお姫様が山彦の味方となって、海彦を懲らしめるのであった。海の神様も海の女神も、海派と山派との隔てなく、優しい人間が好きなのだ。
文と写真:田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。東京生まれ。