運河に流れる人々の夢や希望に思いを馳せる 【Column- 潮気、のようなもの】
世界には海や湖、河川だけでなく、たくさんの運河や水路があり、その多くが楽しいボートの遊び場となっている。これまで、アメリカのフォートローダーデール、スウェーデンのストックホルム、フィンランドのヘルシンキ、ロシアのサンクトペテルブルグやインドのケララ州など、いろいろな運河や水路をボートで走ってきたけれど、どこも美しく、楽しいボーティングの思い出が残る。
これらの運河の魅力には(これは河川にもいえることだが)、普段は見ることのできない陸の景観がある。そして土地の人々の暮らしをうかがい知ることができること、さらに、その歴史や文化にまで思いを馳せられることなどが魅力として挙げらるだろう。海にそれらの魅力がないわけではないが、運河では顕著だ。
運河は言うまでも無く、人工の河である。その文字が示すとおり、多くは舟運のために造られた。その目的や、運河造りに関わった人々の熱意、おそらく多くの舟が行き交っていたであろう当時の完成後の賑わい、それらを知り、想像してみることで、運河巡航=カナルクルーズの楽しさは倍増する。
日本にも数多くの運河がある。中でも東京は、荒川、隅田川、日本橋川や神田川など大小の河川をショートカットするために造られた新旧の運河が張り巡らされている。また河川にしても、人によって付け替えられ、元々の川の原形をとどめていない。たとえば多くの人が江戸川としてイメージするのは、旧・江戸川の東を流れる大きな河川であろう。実はこの江戸川はいまから100年ほど前に開削された放水路である。荒川も同じで、現在の赤羽から荒川河口にかけての流域は人口の河川であり、かつてはさらに上流で利根川と合流していた。そして隅田川は、埼玉県を源流とする入間川の河口域であったという。
東京では、それらの運河や河川を巡るボート遊びが人気だ。そして前述した世界の運河と同じく、その目的や造られた当時の様子をイメージするとワクワクするのである。
江戸の町を想像しながら楽しむ運河クルージング
山本一力の時代小説に江戸の水売りを主人公にした「道三堀のさくら」という物語がある。
日本では、江戸時代には「上水」と呼ばれる水道が整備されていた。1654年には玉川上水が建設され、17世紀の終わりまでには亀有、青山、三田、千川の各上水が整備された。ところが江戸時代の後半になると神田川と玉川以外の上水が廃止される。江戸の川向こう、つまり日本橋川から見て隅田川の対岸の地域は、生活に欠かせない水を「水売り」から買い求めていた。
「道三堀のさくら」は、そんな江戸時代後半に活躍していた「水売り」の世界が描かれているのだが、水を汲み、そして川向こうへ運搬するための「足」はもちろん「舟」だった。江戸の大川(隅田川)とそれを中心に張り巡らされた運河には、様々な商売の船、さらに荒くれ漁師の操る漁船までが行き交っていたことが小説を通してうかがえる。小説のテーマとは異なるが、船乗りの気質や交流が描かれているところは、ボート好きとしてはとても嬉しい。
そして、東京の運河や港内を走る時は、決まってそんな江戸の風情を想起しつつ走ることになるのだが、それが、カナルクルーズを楽しむコツのような気がしている。
もちろん日本には、東京以外にも古の繁栄や水の都であったことを想起させてくれる運河は多数ある。北海道の小樽運河もそのひとつだ。短い距離ではあるが、運河を巡る観光船もあって、今も残る古い倉庫を眺めながらショートクルーズが楽しめる。
いちど死にかけた小樽の運河を蘇らせた人々の夢
小樽運河は、1923年(大正12年)に完成した。小樽は歴史を有する港町であるが、特に明治以降、急激な発展を遂げた。北海道の本府・札幌に近く、北海道の物流は小樽が担った。北海道の物産がここに集まり、日本の各地へと運ばれていく。幼少期から小樽に暮らしたプロレタリア作家の小林多喜二は、そんな小樽を「北海道の心臓」と表現し、この言葉は観光協会のホームページなどでも見かける。小樽は北海道の中心地だったのだ。
(タイトル写真は小樽運河)
小樽運河は陸地を切削するのではなく、沖を埋め立てることによって完成した。周辺には倉庫が建ち並び、物資を運搬する船が行き交った。ところが戦後になって港湾が整備されると、この運河は利用価値がなくなった。放置された運河は悪臭を放つドブ川のようになってしまったという。
実は、行政は運河を埋め立て、新しい道路を建設しようとし、議会でもそのことが決定したのだが、多くの市民が保存を望んだ。結果的には計画は変更され、運河の半分は埋め立てられてしまったものの、残りの半分は保存され、今では小樽の観光のシンボルとしてとして脚光を浴びることとなった。水も浄化された。この運河は小樽市民の誇りでもある。
小樽運河クルーズを運航する合同会社小樽カナルボートの菊池透さんは、そんな小樽をこよなく愛するひとり。かつてはアメリカズカップ(世界最高峰のヨットレース)のニッポンチームのクルーとして活躍したことのあるセーラーでもある。その菊地さんに話を聞いたことがある。
「江戸時代から明治時代にかけてニシン漁の水揚げ地として、大正から昭和の初めは交易港として栄えた小樽は海とは切っても切れない土地。運河は小樽文化の象徴でもあります。その運河を通して小樽を知って欲しい、楽しんで欲しいと始まったのが、クルーズ事業です」
利用するボートの動力には、小樽市内で生まれた廃油を再利用した燃料を使用するバイオディーゼルエンジンや、ヤマハの電動モーターを利用した推進器ユニットを導入(実証実験)するなど、環境保全についても強く意識している。
クルーズは40分ほど。船に乗り、静かにゆったりと走りながら古い倉庫を眺めていると、小樽が最も栄えていた時代の運河の様子や、港湾で荒々しく立ち振る舞う男たちの姿がイメージできる。
かつて運河に夢をみた人々、運河を船で走った人々、そして、その歴史や文化を残そうとする人々、運河には様々な想いが流れている。面白い。