養殖の合間を縫って行われるヒラメの刺網漁 【ニッポンの魚獲り】
牡鹿半島西岸の中ほどに位置する宮城県石巻市の給分浜漁港。沖に浮かぶ田代島や網地島が防波堤の役割を果たしているため、この辺りの穏やかな入江では、カキの養殖が盛んです。この豊かな海に、父子で出て行く安藤さんの姿があります。
2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波は、この地にも大きな被害をもたらしました。
当時、牡鹿半島沖で創業していた安藤渉さんと雄さんの親子は、そのまま沖に留まって津波から船を守ったそうです。
「幸い、直後に家族と携帯電話が繋がって、全員無事であることは確認できました」(渉さん)とはいうものの、瓦礫が港を埋め尽くしたため丸2日以上沖に留まらざるを得ず、僅かな食料と水で不安な夜を明かしたと当時を振り返ります。
渉さんは地元の水産高校を卒業後、5年ほどカツオ船や遠洋漁船に乗った後、父親の跡を継ぐ形でカキ養殖や刺網の漁船漁業に従事。そして同じ水産高校を卒業した長男の雄さんが加わり、親子二人で精力的に漁をしていた最中の出来事でした。
自宅も新築し、震災2年後の2013年には〈羽黒丸〉(DX-53C-0B)を新造。石巻の市街地に住む雄さんが毎日港に通う形で、漁を続けてきました。
「刺網はヒラメ狙いなんだけど、震災直後はもの凄く獲れたんだよね。しばらく漁をしてなかったことと、他県のトロール漁が禁止になっていたことも影響していたんだと思うけど、1日に300kg以上水揚げすることも珍しくなかった」と笑う渉さん。今は、それほどの大漁は少なくなり、震災前の状態に戻っているようです。 安藤さん親子にとってはちょっと残念な状況かもしれませんが、それは東北の海も日常を取り戻したということに他なりません。
9月から翌年の3月まではカキ養殖の作業が主体となり、刺網を入れるのは毎年7月から9月ごろ。渉さんは「仕事の中ではなんといっても刺網が一番面白いね」と相好を崩します。潮の流れや水温の変化で状況が全然違ってくるんだけど、そこを自分なりに予測を立てて網を入れる。それが当たれば嬉しいし、外れたら次はどうしてやろうかと考える。そういう面白さが刺網にはあるんですよ」
漁船の性能にはとても満足している様子です。
「以前は、ひとまわり大きいのフネに乗っていたんだけど、積載性はいまのDX-53の方が圧倒的にいいんだよね。安定性が影響しているんだろうけど、作業性も格段に上がって仕事がしやすくなった」
秋も深まり、ヒラメの刺網もしばらくはお預け。今はカキ養殖に精を出しているところです。