「タコはどこにいるのか—」 その通り道を予測する。 【ニッポンの魚獲り】
朝の3時30分、漆黒に包まれた宿漁港から一隻の漁船が舫いを放ち、出漁していきます。11月の半ば、タコの「秋漁」に向かうのは岩手県の宮古市の加山喜博さんが乗り込む〈第十八龍神丸〉(ヤマハのDX-37C-0A)。最初の漁場に到着すると、一昨日に仕掛けたタコ籠を次々と揚げていく作業に取りかかります。
最盛期は6月、35kgの大型も
加山さんがこの日仕掛けた籠は6カ統(6箇所)に分けた計320個。それを次々に揚げては、獲れたタコを一杯ずつ網に入れてイケスにキープ、同時に餌となる冷凍のサンマを仕掛け、籠を積み上げていきます。1カ統分の籠を揚げ終えると、再び籠を海に戻し、次の漁場へと向かう─、すべての作業を終えるまでに6時間ほどを要します。
それでも秋から冬にかけてのタコ籠漁は漁場も近く、水深も20~30mほどと浅いため、加山さんもそれほど苦には感じていないようですが、6月に最盛期を迎える春から夏にかけての漁は漁場も遠く、籠を仕掛けるポイントが深くなるため重労働となりそうです。出港する時刻もさらに早くなります。
「最盛期にはミズダコも大型になって35kgなんていうのも獲れる。その時期はケガニも同時に獲れるので忙しくなります」
昭和42年生まれの加山さんは、いま、働き盛り。もともと実家は漁家ではありませんでしたが、漁師だった母方の祖父に、従兄弟と一緒によく海に連れ出してもらっているうちに、自分自身も“船に乗って魚を獲る仕事がしたい”と思うようになりました。学校を卒業してからは遠洋漁船に乗り込み、33歳の時に独立。その後はタコ籠漁をはじめ、カレイの刺し網、サケの延縄、ウニ・アワビ漁にと忙しい日々を送ってきました。
2011年3月には東日本大震災を体験。加山さんは当時所有していた漁船も漁具も津波によって失いましたが、再び海で仕事をする道を目指し、〈第十八龍神丸〉(DX-37C-0A)を手に入れ、現在に至っています。
根の周りを囲むように
「タコは高いところにはいない。海底に根があったらその根元の部分にいる」というのが加山さんの見立てです。というわけで、餌を仕掛けた籠は根を取り囲むように沈めていきます。また、「タコには独特の通り道がある」というのは加山さんの持論。根とタコの通り道、獲れる場所を見極めていくのがタコ籠漁の難しさ、そして面白さなのだと加山さんは言います。
漁獲されるタコはミズダコとマダコ。水揚げする個体数の比率は8対2。ミズダコは大物が獲れ、マダコはそこそこの値が付くと加山さんは教えてくれました。それでも小型のマダコが籠に入ると、加山さんは迷わず生きたまま海に戻しています。
「なんでもかんでも獲ってくる人もなかにはいるけど、タコは海から逃げないから慌てる必要はないんですよ。大きくなってからまた獲ればいい」と加山さん。震災で仕事ができなくなった期間があるだけに、海のありがたさ、海への感謝の気持ちをひとしお抱いているのかもしれません。
「ヤマハの船は“乗り”がいい。多少の波がある日でもしぶきがあまり入ってこない。横揺れが少なく、作業もしやすいので気に入っています」
〈第十八龍神丸〉というパートナーとともに漁業復興の狼煙を上げて10年以上が経っています。加山さんの漁は日々、充実しています。