深まる秋に、はじける北欧の夏を想う。 【Column- 潮気、のようなもの】
陽の出ている時間がめっきり短くなった。仕事を終えてから外出しようとなると、日は暮れている。世の中には暗くなってから元気になる人も、それなりにいらっしゃるようなので、それはそれでいいかもしれない。でも、私はというと、秋が深まるにつれ、暗くなるのがやたらと早い海岸で、沖を眺めながら「今年の夏は正しく過ごすことができただろうか」などと反省するのが近頃の常となっている。夏はかくも短い。柄にもなく、けっこうセンチメンタルなのである。
この季節の移り変わりに接するたびに思い出すのは、以前、訪れたことのあるフィンランドの晩秋の海のことである。そのときの写真を久しぶりに使ってやろうと、ポジフィルムが未整理のままはいっている袋を引っ張り出してみたら、マジックで日付が書いてあった。1992年の10月だった。愕然とした。30年も前のことだったのか。今年の夏を振り返っている場合ではない。この間、30回の夏を正しく過ごしてきたのかと顧みて、忙しいばかりでそれほど夏らしい海での過ごし方をしてこなかったことに気づき、それと同時に、もしかしたらこれからも変わり映えのしない夏を過ごすのかと、不安に陥ったりした。
それはどうでもいい。話を本題に戻すと、フィンランドの冬は美しいが、暗い。11月に入ると、首都・ヘルシンキの日照時間は8時間を切る。初めてフィンランドを訪れ、ホテルで朝食を摂っていたとき、外はまだ真っ暗であった。もちろん釣りや漁業の取材のときは朝が暗いこともある。それでも、まもなく8時になろうという朝食の時間にレストランの窓の外が暗いというのは、けっこう心を陰鬱にさせる現象ではないかと思う。
これがヘルシンキだからまだいいが、北部のラップランドとなるとさらに一日が短くなる。1月は2時間で陽が沈む。暗い夜が22時間も続く。
北欧の海、夏と冬のコントラスト
ヘルシンキの海は真冬になると凍り付き、港は銀世界となる。10月はセーラーやボーターにとっては遊び納めの季節だ。
曇り空の中、ヘルシンキの海岸沿いの公園へ足を運んだ。遊歩道は海に面していて、そこにはボートやヨットが係留されている。寒風が吹きすさぶ中、それでも船と戯れる多くの人々の姿があった。冷たい風が吹く中、釣りに出かける猛者もいたけれど、早くも来年の夏に備えて、愛艇の上架作業に精を出す人の姿が多い。目を輝かせて整備をするそんな人々の姿に、シーズンオフでも海から離れることのできない気質を見、暗かった心は少しばかり明るくなった。そこには国民の7人に1人はボートを所有しているという「マリン先進国」の姿があった。
真夏のフィンランドの海を体験したのはその10年後のことだ。つい最近のことのような気がしていたが20年も前の話である。それもまたどうでもいい話か。
真夏のヘルシンキに広がる光景はまるで10年前に訪れたところとは別世界のように思えた。長くて暗い冬を経て迎える北欧の夏は、短いけれど、濃密だ。白夜とまで行かないが、夜の11時になってもほんのりと明るい空があったことが印象に残っている。
ヘルシンキは首都ではあるけれど、日本の首都・東京の海とはまるで異なる。国土の75%を占める森と湖、そして美しい海。世界大戦後のフィンランドは飛躍的な経済発展を遂げたが、これらの自然を慈しみ守ることも怠らなかった。1500kmにも及ぶ海岸線と氷河が削り残した3万もの島々が織りなす景観、太古から生き続ける自然は、人の手からなる造形物らと美しく調和している。夏に面すると、そのことを強く感じる。
小さな島々が無数に浮かんでいるが、その一つ一つにサウナを備えた家が建つ。長い夏のバカンスになると、多くの人々は一時的にその島へ居を移す。その間、もちろん交通手段はマイボート。買い出しもヘルシンキの港にあるマーケットへとボートを走らせる。
首都に広がるアーキペラゴ(多島海)には太陽の恩恵を受けるには今しかないとばかりに、笑顔を満載したたくさんのボートが往き来している。白砂のビーチなんてものはないが、その代わりに、平べったい岩場に人々が集まり、裸で太陽の光を熱心に浴びていた。
濃密な夏の海に夢を馳せようか
それからさらに15年ほどして、ノルウェーとスウェーデンの夏を体験した。これは割と最近のことである。目に映る景色はフィンランドとは異なるが、それでも夏に対する意欲満々なボーターたちの姿は、20年前に見たフィンランドの人々と何ら変わることはなかった。
ノルウェーのクリスチャンサンドという港町に滞在していたときに、夕方、といっても延々と続く長い夕方なのだが、レストランをお目当てに多くのボートが集まってくるシーンをみかけた。それらのボートの中に、ティーンエイジャーと思われる二人の女の子を乗せた船外機を載っけた小さなゴムボートがあった。
とにかく女性のボーターが多いことが印象的だった。女性が多いといっても「お客さん」という意味で、ではない。女性同士でボートを楽しむ姿や、男性のパートナーと一緒であってもクルーワークを同等にこなす「ボート乗り」と呼べる女性が多いのだ。洗練された、それでいて深みのある「マリン文化」を見せつけられた思いである。なにより夏を謳歌する人々の姿にワクワクする。
日本は、一部の極寒の海を除いてほぼ一年中、海で遊ぶことができる、我々にとっては恵まれた島国だ。そして、北欧のようなコントラストには欠けるけれど、やはり夏の海は特別である。
少し寂しい秋の夕陽を眺めながら、来年こそは夏を楽しもうと、夢を膨らませるのである。