井伏文学の出発点「山椒魚」【キャビンの棚】
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井伏文学の出発点「山椒魚」【キャビンの棚】

 鱒(ます)の字は「魚」を「尊」ぶと書きます。鱒という字を当てた筆名をもつ、明治生まれの井伏鱒二(本名・満寿二)は、釣りや水辺に関する幾多の著作を生み出した作家として知られています。彼の文学は、故郷である瀬戸内、福山での水辺の原体験に端を発するようです。
 かつて井伏の通った中学校では、池に2匹のオオサンショウウオを飼っていました。放課後友人と雨蛙を与えたところパクパクとよく食べたことから、畑の蛙を捕まえるのが翌日からの日課となったそうです。高校生になった井伏が、この中学時代の思い出を書き上げ、親友へのプレゼントとして贈ったのが本作「山椒魚」の原型でした。 

 晩年の井伏は当時をこのようにふり返ります。
 「山椒魚という動物は、見たところも愚鈍なような外見です。迂闊者として扱っても不自然ではないような気がします。空腹でたまらなくなって来ると、自分の手を食って餓を凌ぐこともあるそうです。馬鹿なやつだと思います。それで私は山椒魚を主人公にして、愚行の果ての孤独から諦感、諦感から悟道に至る物の心懐を、自分流儀に表すつもりで書きました。」(福山県教育委員会「井伏鱒二の世界」1994)

 彼がいわゆるヒーローではなく、むしろ対極にある愚鈍な生き物を主人公にした理由は何でしょうか。それは、執筆した高校生の井伏鱒二が決して勤勉な優等生でなく、むしろ布団から出てこない無精な自分の姿を投影したからと考えられています。井伏は山椒魚を処女作として発表したのち、70年余りの作家人生で何度もこの作品に手を入れ続けました。このことは「山椒魚」が作家の強い思い入れのあった作品であることを示し、井伏文学の出発点にある重要な作品として評価を受ける所以です。

 余談になりますが、この作品が発表されたのをいち早く読んで感銘を受けたのが若き日の太宰治でした。このことがきっかけで後に井伏に弟子入りし、その後の飛躍につながりました。

「山椒魚」
著者:井伏鱒二  発行:新潮文庫  価格:490円(税別)

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