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風味豊かな“幻の海苔”で未来を拓く 【ニッポンの魚獲り】

 かつては笠岡諸島をなす独立した島であった岡山県笠岡市の神島こうのしまは、1966年から始まった笠岡干拓事業によって陸続きの土地となりました。かつては多数あったノリ養殖家は、もともと近隣に大河が無くノリの育成にそれほど向いていない環境だったこともあって、そのほとんどが廃業してしまいした。そうした中で、創意工夫と研究を重ね、独自の商品を生産しながらノリ養殖業の拡大を目指しているのが、せのお水産の妹尾孝之たかゆきさんと祐輝ゆうきさんの親子です。

 日本で生産されているノリはそのほとんどが「スサビノリ」と呼ばれる品種で、その生産量は板ノリに換算すると70億枚近くになります。せのお水産でも、スサビノリが主力です。しかし、これと同時に同社では国内では珍しい養殖イワノリ種の生産も手がけており、それが大きな特徴となっています。

せのお水産ではノリの品種による育成期間のずれに着目し、同じ海面の養殖施設において、
いわば“二毛作”で育て、ノリの総生産量を拡大している

 スサビノリは海水温が23℃以下にならないと種付けができず養殖でないといわれています。笠岡の海がその水温にまで下がるのは10月の下旬以降。ところがイワノリ種の場合、25℃から26℃の水温でも種付けができます。せのお水産ではその育成期間のずれに着目し、異なる種類のノリを同じ海面の養殖施設において、いわば“二毛作”で育て、ノリの生産量を拡大しているのです。

「生産量こそまだ少ないですが、養殖イワノリがうちのフラッグシップ。メイン商品です」と妹尾さんは語ります。その言葉通り、せのお水産ではこの養殖イワノリ種からできた“ばら干し海苔”を自分たちの手で商品化し幻紫菜げんしさいと名付けて販売しています。

「幻紫菜」は日本では希少な養殖イワノリ種から生まれた「ばら干し海苔」。文字通り「幻」のノリ。
ラベルの「幻紫菜」の文字は奥様たちのアイデアと要望で地元の書家に書いてもらったもの

 「有明ノリ(スサビノリ)は口に入れた途端にうまみが広がりますが、イワノリ種を使った幻紫菜は噛み応えがあり、だんだんと口の中に風味が広がっていくのが特徴です。まだまだ量が少ないし問屋さんにスケールメリットが生まれない。簡単に商品化したり、流通に乗せてくれるものではありません。でも、ここまで来るのに何年も掛かりました。いまやめたらその時間が無駄になる。やめるわけにはいきません。経験と実績を積み上げながら販売を行っていきます」(妹尾孝之さん)

 3種類のイワノリ種のうち、どのノリが笠岡の海に向いているのか。試験養殖を重ね、葉体をつくってはそこから選抜して種を取る、そうした根気のいる作業を繰り返して商品開発を行ってきただけに、その言葉には重みがあります。

 その貴之さんの強力なビジネスパートナーがご子息の祐輝さん。
「小さい頃から船に乗って夜中でも船の中で寝て過ごすような子どもでしたから海での仕事に対してそれほど不安はありませんでした。当初は寝不足が続いて生活のリズムの変化に馴れませんでしたが、いまは大丈夫。でも仕事自体は特に技術的な面で自分の考えたように簡単には事が運びません」(祐輝さん)

妹尾祐輝さん。イワノリ種の養殖を主力として事業転換を図るべく、日々奮闘する

 昭和59年生まれの祐輝さんは海洋学部のある大学を卒業、東京に本社を置く商社に務めた3年後にせのお水産に加わりました。
 現在、神島外浦の漁港に構えるせのお水産のノリ加工施設は、合理化、効率化を図るためさまざまな創意工夫が加えられており、県外から同業者が視察に訪れるほど独自性に富んでいます。そんなところにも祐輝さんの力が発揮されていそうです。
 「笠岡には決して豊かな海があるわけではありません。だからこそ危機感を持って仕事に取り組んでいます。経験を重ねていき、将来的にはスサビノリに代わってイワノリ種を真の主力にしていきたい」(祐輝さん)

 父親である妹尾社長と目指すベクトルはまったく同じなのです。

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