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ヤマハの470チャレンジ〜コンストラクターの視点。 【We are Sailing!】

 これまでヤマハ発動機は1992年のアメリカズカップを筆頭に、「太平洋~沖縄・単独横断レース」(1975年)、「メルボルン~大阪ダブルハンドヨットレース」(1990年)、「オークランド~福岡ヨットレース」(1993年)と、世界レベルのヨットレースにボートビルダーとして参画してきた歴史があります。これらの目的は、マリンスポーツの普及にありました。
 1976年のモントリオールで開催された大会からセーリング競技の種目となっている国際470級については、1975年に建造ライセンスを取得して以来、自社のレーシングチーム育成と、レース艇の研究開発を同時に行う「ファクトリーチーム」という形でチャレンジしてきた歴史があります。
 バブル崩壊による国内景気低迷により2002年からヨットレースへの関わりを絶っていたヤマハ発動機ですが、東京で開催されるビッグレガッタを機に20年ぶりに世界のレースシーンに復帰・再結成することになったのが、このヤマハ470セーリングチームだったのです。同時にヤマハの新たな470級ヨット「YAMAHA 470CPH」の開発がスタートしました。

供給先はヤマハのセーラーだけでなく全世界のセーラーが対象

 前述のとおり、ヤマハ発動機は、常にヨットのレース艇を自ら建造するコンストラクター(ボートビルダー)としての立場でヨットレースに関わってきました。現在も自社によるレース艇の開発・建造と、自社のレーシングチーム育成の両輪によるものです。
 「ヤマハのようなコンストラクターがレース活動をするというと、どうしてもモトGP(オートバイレース)のような形式を想像されると思うのですが、国際大会のレーシングディンギー(小型ヨット)によるヨットレースは全く異なる形態になってしまうんです」というのは、現・ヤマハセーリングチームの結成当時からレース艇の開発に携わってきた原以起いおきです。

原は艇体開発のリーダーとして新たな470級の開発に取り組んだ(マリン事業本部技術開発グループ)

 「バイクやクルマなど、およそ乗り物を使ったレースというものは、その乗り物を生産するコンストラクターがチームの主体となっているケースが多い。この場合は、自分のチームのための独自の乗り物を開発することになるんですが、470級のようなヨットの国際ワンデザインクラスというのは、均一な性能を持ったレース艇を使って、乗り手の技量で勝敗を競うという考え方なので、建造ライセンスを有するビルダーは均一な性能を持った艇体を、世界中のセーラーに供給できる態勢でなければならないんです。もちろん自社チームには勝たせたい、が、コンストラクターとしての公平性は厳正に遵守、そこにジレンマが生じてしまう」

 国際470級のクラスルールで定められた建造ルールに従えば、原則として同じ性能の470級ができることになっています。では、各国のビルダーがどこでオリジナリティを出すのかといえば、構造の強度や耐久性、製品の均質性、さらにはクラスルールで定められたハル(艇体)の形状を、ルールの許容範囲内(最大±7mm)で追求していくことになります。そこで生まれる差異は『性能差』と呼べるほどの違いはなく、『味付け』とも言うべき微妙なニュアンスの差でしかありません。世界レベルの頂点で競い合うセーラーたちは、その味付け程度の差異ですら自らのアドバンテージに積み上げていこうとするのです。

 とはいえ、その微妙な差異を正確に感じ取れるセーラーは、世界の中でもほんの一握りです。
 「正直に言うと、当時まだ大学生だった髙山には、新造船の評価ができるだけの経験とスキルがありませんでした。ですからロンドン大会金メダル、リオ大会銀メダルの絶対的な強者であるオーストラリアのマシュー・ベルチャー(マット)をチームの一員として迎えることができたのは、開発期間が極めて短い中で最良の結果を求められるこのプロジェクトにおいて、大きな支えとなりました」(原)

世界トップのプロセーラーとともに積み上げた自信

 ハルのデザインは、現在、セーリングチームのプロジェクトマネージャーを務める藤井茂と同じ、東京大学工学部船舶海洋工学出身のヨット・デザイナー金井亮浩あきひろさん(世界最高峰のヨットレース・アメリカズカップ等でも活躍)に依頼し、2020年の国際大会の会場となる“夏の江の島”の海況にアジャストした船型デザインが出来上がりました。
 「どちらかというと軽風域にアドバンテージを持たせた船型なのですが、水槽実験では他社製の470を凌ぐスピード性能を確認しています。ただ、水槽実験は平水面を真っ直ぐに走った状態しか再現できないので、波のあるところでどうなのか、旋回したときにどうなるかまではわからないんですが、マットの評価は悪くありませんでした」
 試作艇でマットによるテストセーリングを繰り返し、重量配分を詰めていくことで、新しいヤマハ470級ヨットの形が姿を現したのです。

長年にわたって積み上げてきた「3D形状計測技術」「モーダル解析技術」「FEM解析技術」等を駆使

 デザインが決まると次は製造です。

 デザイン通りのモールドが完成したところでFRP(繊維強化プラスティック)による成型となります。ガラス繊維の積層は完全な手作業となるためバラツキが生じます。そのバラツキを極限まで減らすため、一層ごとに樹脂とガラス繊維の重量をグラム単位で計測し、最終層の段階で左右の重量差は1グラム以下にまで抑え込みました。

手作業によるFRP成形作業。艇体ごとの重量の誤差を徹底的に排除していった

 「470級のようなワンデザインのレーシングディンギーは、クラスルールで定められた重量の下限ギリギリでないと選手は納得しません。しかし少しでも下限値よりも軽くなってしまったら、その時点でその艇体は国際470級として認められません。出荷時点で『絶対に』艇体重量がルールの下限値になるようにコントロールすることは難しいミッションでしたが、なんとか達成することができました」(原)

 「最初に完成した470級に乗ったマットからは、軽風域のスピードはこれまでにないものだけど、軽風から強風域に移る段階の風域でプレーニング(ボートスピードを超えて波に乗る挙動)に『入りにくい』という事象が指摘されました。実は、まさにそこは我々が狙ったところで、夏の江の島に多い軽風域のボートスピードにアドバンテージを持たせた結果、そのトレードオフとしてプレーニングに入りにくいことは予想どおりでした。そのあたりについてマットとディスカッションを重ねた結果、乗り手の体重の前後移動によってプレーニングに入りやすくすることはできるという結論に達しました。ただし、そのためにはフネの挙動を完全にコントロールできるようになるまで、乗り込みが必要だというのがマットの見解でした」(藤井)。

マシュー・ベルチャー(マット)らプロセーラーによるテストセーリングを繰り返してきた

世界のトップレガッタを走った「YAMAHA 470 CPH」

 順調に進んでいたかに見えたプロジェクトでしたが、思わぬ形で足止めを食らうことになりました。

「江の島で行われる大会が一年先送りになったことは、我々にとってさらに時間が増えたと思ったのですが、他国間の行き来が厳しく制限されてしまった結果、マットが新艇に乗り込むことができなくなってしまったんです。1年先送りになるということ自体もなかなか決まらず、新艇をオーストラリアに送ることも考えたのですが、マット自身は『江の島の海で乗り込まなければ意味がない』ということで、ひたすらその時を待ったのですが、結果的にマットが新艇に乗ることができたのは本番の直前でした。ヤマハ艇での調整が間に合わず、最終的には乗り慣れたドイツ製の艇体で出場し、金メダルを獲得しました」(原)

 その大会で、ヤマハ470チームは日本代表になることができず、金メダルを獲得したマット・ベルチャー/ウィリアム・ライアンのペアはヤマハの艇体を使うことができませんでしたが、アメリカ代表のスチュワート・マクネイ/デビッド・ヒューズがヤマハ製の470級で出場しました。

「2018年に江の島で行われた世界選手権の後に向こうから連絡があって『ヤマハの470に興味がある』とのことでした。2018年の世界選手権で、髙山チームと並んで走った場面があったようで、そのときに軽風でのボートスピードが抜きん出ていたと感じたようでした」(藤井)

 実際にヤマハの470に乗る前に、マクネイ選手は「これしかない」と決意していたようで、正式に契約を交わしましたが、新型コロナウィルスの影響で実艇でテストする機会が得られないまま来日。大会直前の公式練習で、初めて実際に乗り、その中でチューニングをしていくという、慌ただしさでした。
 「マクネイはイェール大学の工学部出身で、テクニカルな話が非常に噛み合っていて、こちらの設計意図をきちんと理解してくれた上で東京大会の本番で使う決定をしてくれたことは、本当に嬉しかった(笑)。報われた気持ちになりましたね」(藤井)
 マクネイ/ヒューズの成績は、メダルレース(決勝)に残る9位。世界を舞台にヤマハの470が通用することを証明してくれたのは、アメリカチームでした。

 「現在、470級は大学生のヨット競技向けの「YAMAHA 470 ACPH」を中心に同じ船型・コンセプトで製造していますが、その評価も着実に上がってきているようで、強豪大学のヨット部も次々とヤマハの470を選択するようになっています」(原)

トップセーラー向けの艇体と同様の艇体「YAMAHA 470 ACPH」を
大学のヨット競技者向けに販売している

 再び世界をヤマハ470に注目させるには、髙山/盛田が世界の舞台で好成績を残すしか道はありません。開発者たちの熱き思いを乗せて、世界に挑むヤマハセーリングチームに期待です。
※タイトル写真:470級の試作艇によるテストシーン

 


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