ある日、梅雨明け間近の海で見てきたもの。 【Column- 潮気、のようなもの】
相変わらず海に出ています。拙子のフネは神奈川県の真鶴というところに置いてあります。レンタルボートに比べるとそれなりにコストは嵩みますが、それでも好きなときに海に出られるというのはいいものです。
この日は、強い雨が降った翌日で、ナブラでも探しに行こうかなと、ほぼ西隣の町・熱海に住むカメラマンの師匠に声を掛けて、一緒にフネを出しました。師匠は桁外れの海好きで、自分でも沼津に小さなフネを持っているのですが、時間さえ合えば真鶴まで来てくれます。相当の海好きです。とにかく、ン年以上も世界中で海の写真を撮り続けてきた人です。高校時代は水泳の選手で、推薦で大学に行ったほどの泳ぎの達人。写真家になる前は、プロの潜水士だったというから水中もへっちゃらです。ロケ中、目を離すと海に入って行ってしまうので目が離せません。海が好きというより、海の一部になってしまいたいといった人なんですね。
その海好きの師匠と、一日中、相模湾をうろついていたわけです。気持ちのイイ海でした。のんびりとフネを走らせながら、鳥山や海面でざわつく魚の群れを探すのです。いちおうは、キハダマグロを釣るつもりなのです。1日走り回って、何も起こらない、なんてことはしょっちゅうなのですが、それでも楽しいのは、とにかく海を動き回って、水平線に視線を凝らしているといろいろなものに出合えるからなんだと思います。
さらに、この日一緒だった師匠は、釣りに対してがめついところがないので船頭としてはプレッシャーもかかりません。それ、大切です。代わりばんこにステアリングを手に、だらだらと、ひたすら海の話ばかりしています。
「2週間前、このあたりはクジラだらけでした。海の上で360度、あちこちでマッコウクジラが潮を噴き上げるんです」
「マッコウか。あれ、40分も海に潜れるんだよ」
「哺乳類なのに? よく考えてみたらすごい奴らですね」
「向こうに黒い背びれみたいなのが見えました。イルカみたいです」
「おー、遊んでる、遊んでる! イルカはクジラみたには長く潜れないんだよ。長くて5〜6分」
いい歳した大人になっても、人間以外の野生の哺乳類に遭遇するのはとても楽しい。そして師匠は、やたらとクジラやイルカが潜る時間に詳しい。もしかしたらあいつらと張り合ってるんじゃないでしょうか。目を離したらこの人、海に飛び込んで行ってしまうんじゃないかと心配になってきます。
風はなく、おだやかで美しい波紋をつくる海面の先に、伊豆大島が浮かんで見えました。大島の上にはちょっと珍しい雲がかかっていました。
「マオリ族の言葉で“アロアテア”と言って、“雲沸き立つ大地”という意味なんだけど、航海の末にニュージーランドにたどり着いたポリネシアンは、遠くにそびえるああした雲を目指して航海したんだ」
この雲についても師匠はひと通りの蘊蓄を披露してくれました。
反対方向の空を見上げると、絹雲がありました。これぐらいなら私も知っています。明日にはまた天気が崩れるのかな、なんて思っていると、やや! 雲が魚の形をしているではないですか。
「あれ、魚に見えませんか? ルアーを咥えたカジキが身体を翻している感じ?」
「お!ほんとだ魚に見えなくもないな」
「見えなくもないって、なに言ってるんですか。アレは魚ですよ」
まるで子どもですね。
と、まあ、こんな具合に海での1日が過ぎていきます。お察しの通り、この日もナブラは見つかりませんでした。キハダマグロはあきらめて、帰り際、港の近くでルアーを放り込み、テキトーにリールを巻いていると、師匠の竿にアタリがありました。ラインを巻き上げてみると、それほど大きくないハタの仲間がかかってました。キハダマグロの代わりにしては、いささか貧相な魚に思えますが、それも贅沢な話です。
「魚釣れたの、久しぶり。すっごく嬉しい。やっぱり釣りは楽しい」
なんて言いながら、師匠は不器用に魚をフックから外しイケスに入れています。そうそう、釣りにはがめつくはないけど、桁外れの食いしん坊なのでした。美味そうな魚が釣れて良かったです。
これを書いているきょう、天気図を見たら、太平洋高気圧が頑張っていて、数日前まで本州の南にあった梅雨前線がしっかり日本海の北へと押し上げられていました。関東地方もどうやら梅雨明けのようです。いよいよ真夏がやってきました。
拙子は仕事やら遊びやらで、毎日のように海に接していて、一年中、海から恩恵を受けているわけですが、それでも梅雨明けというのは嬉しいものです。海の上に沸き立つ入道雲を眺めながら、フネをのんびり走らせたいな、なんて思います。暑さへの覚悟もそれなりに必要ですが、海の上にいる限りはへっちゃらです。クーラーボックスに氷をどっさりと入れて、飲み物をたくさん積んで行きます。それでも暑くなったら走れば良いのです。アンカーを打って海に飛び込んでもいい。
「今度、このフネで島にいこうよ、島!」
「新島あたりですかね。いちおう航行範囲内のはずです。でも港の岸壁、けっこう高さがあるので、小さいフネだと係留が面倒ですよ」
「脚立でも積んでいけばいいじゃん。どっかの入り江にアンカリングしてフネで寝てもいいし」
「学生時代を思い出しますね。それはいやです」
沖へ、沖へ。夢だけは広がります。海が好きです。フネでの時間が大好きです。