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ボート釣りのエバンジェリスト、海での喜怒哀楽。 【Column-潮気、のようなもの。】

 「こうしていっしょに釣りをするのも久しぶりですね」
 「そうですね。最後にご一緒したの、いつでしたっけ?」
 「2年半になりますね。2019年5月1日、令和に改元した日でした。小野さん、いつものサービス精神を発揮して、記念写真の小道具に“祝・令和”って書いたテロップをフネに持ってきてたじゃないですか。だから覚えています。葉山の沖でマダイを狙ったけどさっぱりでした」
 なあんて、他愛のない話をしながら舫いを解いて、2年半前と同じく、気持ちだけはマダイを釣る気満々で、釣り師の小野信昭さんと東京湾の海へと繰り出した。
 たしかに小野さんと一緒に釣りをするのは久しぶりだった。でも、この日の一週間ほど前に、海辺の仕事でご一緒したばかりだ。小野さんは、いつもどこかしらの海にいる。

多くの人に釣りを楽しんで欲しい

 小野信昭という釣り人の存在を知り、初めてお会いしたのは令和になるはるか前、平成に元号が変わってから10年ほど経っていた頃だっただろうか。
 そのとき、小野さんは、三浦半島の西岸、横須賀の長浜(なはま)の海岸で、自動車でも運べて、気軽に海に出せる可搬型の小型ボート、いわゆる“カートップボート”のイベントを仕切っていた。FRP製の可搬型ボートがかなり流行りだしていた頃で、当時はボートショーでもたくさんの可搬型ボートが並んでいたのを思い出す。そんな可搬型ボートのユーザーである小野さんは、多くの人がそうしたボートで釣りを楽しむ風潮に喜びを感じると同時に、利用者の安全意識の低下やマナーの悪化による、規制強化や遊び場所からの締め出しに危機感を抱いていた。
 イベントは釣り大会という体裁で、多くの愛好者と交流を果たし、楽しみながらも、実際にはマナーや安全意識の向上が、イベントの主たる目的だった。

 「最近は愛好者も減って、可搬型ボートのメーカーさえも激減しました。若い人が海に出ていかないんですよ」
 小野さんは少し寂しそうに語る。可搬型ボートを取り巻く環境は大きく変わったが、それでも小野さんの「多くの人に釣りを楽しんで欲しい」という願いと「そのために釣りの魅力を伝えたい」というサービス精神は変わっていない。それどころか、歳を重ねて、そうした思いをますます高めているように見える。

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佐渡島のお爺ちゃん

 小野さんは子どもの頃に海釣りに出会った。東京の世田谷に育ち、小さな頃から釣り竿を担いで多摩川などに通っていた小野さんに海釣りを教えたのは、新潟の沖に浮かぶ佐渡島に暮らしていた“お爺ちゃん”だ。
 「佐渡島は母方の実家があったんですけど、お爺ちゃんがフネを持っていて、小学5年生の夏休みに初めて沖へ釣りに連れて行ってくれたんです。感動しましたよ。川では見たこともない、いろいろな魚が釣れるんです。楽しかったですねえ。そんなわけで、東京に帰ってからは海釣り一本になりました」

 はじめて手に仕入れたフネはゴムボート。それがボロボロになるまで3年ほど乗り込んで、その次に手に入れたのがFRP製の可搬型ボートだった。いまは2隻のボートを所有して、一隻は海辺の保管場所に預けて目の前の海で釣りを楽しみ、もう一隻は愛車のルーフキャリアに積み、あちこちの海での釣りを気軽に楽しめるようにしている。

 小野さんは、いまから20年ほど前に、ある計画を実行に移した。日本の海に面したすべての都道府県を可搬型ボートとともに巡り、釣りをしようというものだ。2021年になって早期退職してフリーランスに転身した小野さんだが、当時はまだ大手の光学機器メーカーに務めるサラリーマンであったし、時間はかかった。それでも日本中を旅して、釣りを楽しんだ。そして2012年、その計画の最後の釣行となる東京都の多摩川からボートを降ろして、目標を達成した。いまは再び日本中の海を回ってみたいと考えているのだという。このバイタリティには敵わない。

釣りのエバンジェリストが持つ責任感

 日本にレンタルボートが普及すると、可搬型ボートだけでなく、少し大きめの一般のプレジャーボートでも釣りを楽しむ機会が増えた。ボートのタイプは異なっても、海に出る上での心構えや、そこに必要とされるシーマンシップは変わらない。さらに魚探をはじめとするギアの使い方、魚の釣り方、自然や気象に対する知識と経験、安全に対する意識、マナーなどは、おそらく一般的なボーターよりも多くを持ち合わせていた。そして小野さんはボートフィッシングの魅力やそのノウハウをもっと多くの人に伝えたいと、さらにパワーアップして、それをはじめた。
 ボートショーでのステージイベントやシースタイル(ヤマハのレンタルボートのクラブ)のフィッシング・セミナーの講師など、活躍の場はいまも多い。

 なぜ、小野さんは自分の楽しんでいる事柄を他人に伝えようと懸命に行動するのだろうか。普段から自分のことしか考えていない筆者のような人間にとっては、まったくもって不思議な心の持ち様なのである。ただ、これまでの小野さんの歩みを改めて聞いてみて、なんだかそのことと結びつけたくなるエピソードがひとつあった。佐渡島のお爺ちゃんのことだ。

 昨今、海水浴さえ経験させてもらえない子どもが増えているといわれている。そんな世情を思うと、孫を自分のフネに乗せ、釣りを教えた小野さんのお爺ちゃんはとてつもなくカッコいい。さらに、その子どもが何十年経ってもそのときの経験を忘れず、釣りの虜になっている。佐渡島のお爺ちゃんがご存命ならば、わたしだって明日にでも日本海を渡って、いっしょに釣りをさせてもらいたいぐらいだ。自分の子どもたちには海の楽しさを充分に伝えられなかったこともあり、わたしにもいつか孫ができたら、好きなだけボートに乗せてやり、一緒に遊びたいと切に願う。
 釣りもボートも文化だ。そして文化は伝承されていかねばならないのである。ましてそれを好きだったり、魅力あると思うのならばなおさらだ。そこまで考えているかはさておき、実際に小野さんは文化の伝承者、釣りのエバンジェリストなのである。

 ところで、この日、マダイはなかなか釣れなかった。それでも最初に筆者がマダイの仕掛け(タイラバ)でシーバスを釣り、その後、マハタを釣りあげると、小野さんが少しだけ焦っているように見えた。「プレッシャーかかるなあ」と小野さんは言った。たしかに筆者は「きょうはマダイを釣らせてくださいよ」と小野さんに軽い気持ちで“お願い”をしていた。勝ち負けでなく、たぶん、そのプレッシャーは釣り人・小野信昭の「責任感」なのである。

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釣りで交錯する感情

 「海の上で喜怒哀楽が交錯する。これもボートフィッシングの魅力なのかなあ
 「喜怒哀楽って。『喜』と『楽』、一歩譲って『哀』まではわかりますよ。『怒』って何ですか。小野さん、釣りをしていて怒ることなんてあるんですか。もしかして、いま僕に対して怒ってます(笑)?」
 「いや、そうではなくて、ふがいない自分に対して怒りたくなることがあります(笑)」
  そのときまで何度か魚のアタリを得ながらバラし続けていた小野さんはそう言って笑った。

 どこまでも釣りに対して真面目な男なのである。この日、結局、マダイに出会うことはなかったけど、港に帰る時間までに小野さんは見事なワラサやホウボウを釣り上げてみせた。そのワラサの写真を撮りながら、いまひとつ釣果の上がらなかった小者の筆者は、少しばかり『哀』を感じた。

 帰り際に「明日は、真鶴でボートフィッシングです。Mさんたちに誘われて」と、筆者も何度かいっしょにボートで遊んだことのある、ご夫婦の名前を挙げた。やはり小野さんは、いつでもどこかの海にいるのである。そして筆者もボートフィッシングを続けている限り、特に努めたりせずとも、そこいらの海で小野さんと交わるのだろう。

 真鶴釣行、お気をつけて。明日も良い釣りを。

文と写真:田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。東京生まれ。


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