二度と出合うことのない波に体を同調させる。生きてるなあ、と実感するんです【社員紹介-私が海を愛する理由】
杉浦利一さん。静岡県富士市出身。今年で48歳になります。杉浦さんが愛してきたボディーボードの魅力を知ったのは中学生のとき。それから30年以上が経ちました。
山の中で出合ったウォータースポーツ
「どちらかというと最近は山に出かけることの方が多いですね。会社の仲間とマウンテンバイクを楽しんでいます。最近の海といえば、年に数回ほどですが、家族と西伊豆の海に出かけていって、SUP(スタンドアップパドル)を楽しんでます。SUPでは波には乗りせんね。ただのんびりと、子どもと一緒に漕ぐだけ」
海でも山でもいいんです。どちらにしろ杉浦さんは、ダイナミックに自然とふれ合うことを求め続けています。そもそも、杉浦さんがボディーボードというウォータースポーツの魅力に出合ったのは、海ではなく、山の中でした。
「中学生の時に家族旅行で出かけた伊豆長岡に人工の波をつくる“ウェーブプール”がある施設があって、そこで初めてボディーボードに乗ってみたんです。すごく楽しかった。高校までは軟式テニス部だったんですけど、ボディーボードが忘れられなくて、名古屋で過ごした大学時代にボードを買って、本格的に海でボディーボードを楽しむようになりました。コンテストなんかにも出てましたよ」
ボディーボードは、大きなビート板のようなボードを利用し、フィン(足ヒレ)をつけて腹ばいになって波に乗る、サーフィンに似たスポーツです。似ているといってもボードの上には立ちません。そしてサーフィンに比べると、どちらかというと手軽にトライできる印象があります。実際にハワイからこのスポーツが日本に上陸した当初は、女性がブームを牽引していました。ところが、ボディーボードには、体力のある男性を夢中にさせるのに充分な、サーフィンとは異なる魅力があるのです。
「日本ではサーフィンで乗れるような大きなチューブ(バレル=波が巻いている状態)がなかなかできないんですけど、ボディーボードならチューブに入れる確率が高くなるんです」
魅力はチューブだけではありません。サーフボードに比べると軽量で、浮力もあるボディーボードは、ボードをコントロールするにも体力と高度な技術が必要です。そんなところも杉浦さんを夢中にさせた要因のようです。
「同じ波は二度とこないんですよ。波の形はそのたびに違う。そんな中でいい波に出合って、それに自分を同調させて。“生きてるなあ”って実感するんです」
サーフトリップで日本と世界の海へ
もうひとつ、杉浦さんはボディーボードの魅力に「旅」を上げてくれました。サーファーたちの間では「サーフトリップ」という言葉を使うようです。とても楽しそうで、なんだかワクワクしますね。
普段は渥美半島の伊良湖で波に乗っていましたが、よくボディーボーダーやサーファーの仲間たちと車に乗り合わせて、四国や九州の宮崎、福島へ、時には海を渡って島へと、波を求めていました。
「クルマに寝泊まりしながらのサーフトリップがほとんどでした。週末バンライフってやつです。波乗りが楽しいのはもちろんですが、仲間と旅しながら美味いもの食べて飲んで話をして、いい思い出です」
ヤマハ発動機に入社後は、磐田のビーチをホームビーチとしながら、さらにいい波を求め、ハワイへと目を向けました。ハワイへのサーフトリップは杉浦さんの年に一度の恒例行事となります。
「毎年3月に一週間の休みもらってハワイに通いました。毎年続けるうちに、“あいつは3月になると一週間ほど消えるから”と、それが当たり前になる、そんな仕事場の理解と環境があったように思います。ハワイではノースショアに家を借りて毎日、波乗りばかりしていました。観光らしい観光はしたことがなくて、実はワイキキとかノースショア以外の町のことはほとんど知らないんですよ」
ボディーボードと旅を通して、杉浦さんは、いろいろな人たちと出会いました。日常の生活では知る由もない個性ある人々。
「ノースショアでは、毎年のように来ている人が私の他にもいました。日本でも何もかも捨てて、波乗りだけのために生きているような人に出会いました。とにかく人生のプライオリティが波乗りなんですね。それが海の力なんだな、と思います。そして、普段の生活の中では交わることのない、そんな人々ともお互いに共通の価値観のようなものがあって、通じ合えるというか。安心できるんです」
杉浦さんが語る、ボディーボードと海、そして旅の話題は尽きることがありません。
「海がテーマの話ということなのに、最近は山ばかりになってしまって、ちょっと申し訳なかったんですけど、もちろん海にはもっと行きたい、行かなきゃならないって気になってきました(笑)」
(題字:杉浦利一)