とりとめもなく、キーウエストとヘミングウェイと「老人と海」のことなど。 【Column- 潮気、のようなもの】
米国・フロリダ州のマイアミから USハイウェイのルート1をひたすら南下し、広大な湿地帯を抜け、フロリダキーズへと車を走らせる。キーラーゴ、アイラモラーダ、ロングキー、マラソンといった魅力的な島々から終着点・キーウエストに至るまでの42の島々を橋(セブンマイル・ブリッジ)でつないだ一帯は、ソルトウォーター・アングラーにとって、天国のようなエリアといって良い。
ターポン、ボーンフィッシュは言うに及ばず、スヌーク、バラクーダ、レッドフィッシュなど、フライ、またはルアーでフラットボートによるサイトフィッシングを存分に堪能することができる。
また、釣りに限らず、ブルーウォーター派にとっても最高のスポットであることは間違いないらしく、たとえば、アイラモラーダのある夏の日曜日、数々のレストランを備えたハーバーには、おそらくマイアミやフォートローダーデールあたりから集まってきたのだろうか、ボートやヨットがあちらこちらで舫をとっている。あちこちのボートから陽気な曲が流れてきて、それぞれのデッキはちょっとしたカクテルパーティ状態。陽気で明るく、楽しそうではあるが、見方によってはどこか退廃的なムードもあり、とはいえ、そこにまた色気のある幸福の臭いを感じる。
セブンマイル・ブリッジを渡り切り、キーウエストまで足をのばすと、これまでとはまた違った光景が広がり、観光客は多くて賑やかだけれども、そのなかで落ち着いた空気を感じたりする。
瑞々しい緑の街路樹に覆われた道に面して、アーネスト・ヘミングウェイが暮らした家が博物館となって保存されている。「失われた世代=ロストジェネレーション」の友、ドス・パソスに誘われてヘミングウェイが訪れ、歩いたキーウエストの街並みは、当時も今のように優しさを漂わせていたのだろうか。
ヘミングウェイが愛艇「ピラール号」を浮かべていたマリーナは、近代的な施設が整っているわけではない。どちらかといえば賑々しく乱雑に船が舫われ、男臭さ、泥臭さが漂っている。マリーナと少し距離を置いた埠頭に停泊する客船からは夢や冒険心がかき立てられる。
要するにキーウエストは彼のライフスタイルそのものが凝縮された町なのではないかと思う。
あまりにも有名な、小説の一節である。ヘミングウェイは「老人と海」をキーウエストではなく、キューバで書いた。小舟を操る老漁師と巨大なカジキとの4日間にわたる生死をかけた闘いを描いたハードボイルドの傑作には、人間の尊厳とは何かという主題と共に、全編に渡って作者の自然への畏敬の念と、海への愛が垣間見える。 そんなヘミングウェイの海への、そして大魚への思いを育んだのはキューバへ移り住む前に12年間を過ごしたキーウエストだったのではないかと思う。
もうひと月が経ったが、7月2日はヘミングウェイの命日である。彼の命日を覚えているのは、何も“ヘミングウェイおたく”だからというわけではなく、実は、その日は私の誕生日でもあるからだ。誕生日のたびにヘミングウェイを思い出し、そして自身の年齢が、彼が亡くなった歳に確実に近づくにつれ、老人と海、そして彼の自死について考える仕組みになっているのである。
「老人と海」の読み方も少し変わってきている。決定的に変わったことは、主人公の老漁師・サンチャゴが、無条件にカッコよかったヒーローから、哀れな老人のように感じてしまうようになったところだ。要するに、今風の言葉で表せば、彼が実は「オワコン」であったことに気づくのである。
サンチャゴは歳を重ねたばかりでなく、運にも見放されていた。体力の衰えもあったろうし、弟子ともいえる少年から何かと気を遣われる始末である。そもそも何ヶ月もの間、魚が獲れないのは漁師として致命的だ。海の上に出て、自然を慈しみながら、彼は若いときの武勇伝を思い出す。ライオンの夢を見る。最初はそれが何を意味するのかよくわからなかったが、今はわかる。若き日々への憧憬が見させた夢なんだろう。彼が闘った相手は大魚ではなく、実は自身の「老い」だったんだ。ヘミングウェイもそうだったんだ。複雑な気持ちになる。
それでもサンチャゴの発する言葉は素敵だ。こうありたいと願う。それでいて、同じように加齢に抗おうとする無駄な労力をはねのけられないでいる。
キーウエストの街を歩いていると白い髭をたくわえ、眼鏡をかけたヘミングウェイのそっくりさんをちょくちょく見かける。ヘミングウェイのそっくりさんコンテストも恒例のイベントになっている。物真似をするという時点で、ハードボイルドからはほど遠いと思うのだが、どの男も、ヘミングウェイのように生きていきたい、サンチャゴのように自然と対峙したいと願っているのかもしれない。
それが「正統派」である。つべこべ書いてはみたものの、実は私も“そちら側”であろうとはしている。
ちなみに彼が釣りや海を舞台に書いた小説はそう多くはない。興味のある方は「ヘミングウェイ釣文学集」を手に取ると良い。出版元の朔風社はいまは存在しておらず、古本を探すしかないけれど。