ベテラン漁師たちに鍛えられ独り立ちする若者 【ニッポンの魚獲り-北淡の底曳き網漁】
大阪湾や瀬戸内海で盛んな底曳き網漁。低速ながらパワーのあるエンジンを漁船に搭載し、船の動力で海底に沈めた網を曳きながら、魚類などを捕獲する漁法です。大阪湾と瀬戸内海を隔てるようにして浮かぶ淡路島でも多くの底曳き漁船がみられますが、今回は、島の北部東岸にある釜口漁港をベースに底曳き網漁を営む一人の若者をご紹介します。
安全に対する意識は先輩から教わった
釜口漁港の岸壁に係留してある底曳き網漁船には、そのほとんどが同じ名前で〈戎丸〉という船名が刻印されています。そのなかで、ひときわ新しい漁船が一隻。船体には、誇らしげにローマ字で〈EBISU〉の文字。
「この港の漁船は父親や親戚など身内の船がほとんどで、みんな船名が〈戎丸〉なんです。自分はちょっとだけ変えたくて(笑)」と、少し照れながら教えてくれたのは〈EBISU〉の若き船主である高瀬仁さん(24歳 ※取材当時/以下同)。この新しい漁船を進水させたのは2020年の6月のことです。
「そもそも最初は漁師になるつもりは全くなくて、小さい頃から父親の船に乗せてもらった記憶はほとんどありませんでした」という仁さん。母親が看護師だったこともあって小さい頃から医療方面に興味を持ち、高校卒業後は専門学校で作業療法士のコースを学ぶことにしました。
「2年目になると病院での実習が始まるんですけど、それが想像以上にキツくて……。自分は根性がないんで、専門学校をやめて漁師になることにしました(笑)」。
その専門学校の同級生が奥様で、今は二人の子宝にも恵まれたのですから、ちょっとした遠回りも仁さんの人生においては必然だったのかもしれません。
仁さんは、父親の弟で叔父にあたる漁師さんの船で約2年間見習いとして修行しました。「ちょうど叔父さんの船に乗っていた方が辞めたので、そこで底曳き網漁をイチから教えてもらうことができました」
そんな仁さんが、師匠である叔父さんから教えてもらったことの中で、最も心に刺さったのが安全に対する考え方だと言います。
「底曳き網漁船にはブリッジの後方に網を巻き取る大きなローラーがあるんですが、そこに巻き込まれる事故というのが一番怖いんです。周辺でも何人かがこの事故で命を落としています。叔父さんの安全に対する姿勢は本当に厳しいもので、おかげで『安全第一』という考え方が身に付いたと思います」
漁師も厳しい環境だけど、自分にとっては耐えられる世界
淡路島北部の底曳き網漁は6月から11月にハモ、12月から翌1月にマナガツオ、2月から5月にかけてハリイカ、というのが主な漁獲です。昨年の6月に新造船を進水させると同時に独り立ちした仁さんは、いつもは一人で海に出ていますが、最も忙しくなるハモの時期はもうひとり、乗り子が加わります。
「他の船もそうなんですが、特にハモの時期は忙しいので2人での操業が基本になっています。僕の船には近所に住んでる庄田さんという人に乗ってもらっています。もともと自分の船で底曳き網漁をしていた人ですが、今は引退して、こうして他の船を手伝ってくれている方です」
「(仁さんは)立派に船主として独り立ちしてるよ。私みたいな年寄りにうるさく言われるのはイヤかもしれないなあ(笑)」と語る庄田さんですが、仁さんは「夏が終わり、冬場になって一人で海に出たときなどは、心細くて、庄田さんの存在の大きさを思い知りました」と、経験豊富な先輩を大いに頼りにしているのです。
自分のことを「根性がない」と謙遜する仁さんですが、幼い頃に始めた卓球では非凡な才能を見せ、スポーツ推薦で神戸の強豪校に進学して、厳しい環境の下で3年間競技生活を続けたという実績の持ち主です。
「うちは父親の代からの卓球一家で、兄も従兄も同じ高校にスポーツ推薦で行ってます(笑)」
卓球選手としても漁師としても先輩にあたる父親の博さん(56歳)。同じ日に、同じ時間だけ漁をしていても、その水揚げ漁が段違いなのだと仁さんは言います。
「倍近く違うんですよ(笑)。色々な情報は全て教えてもらってはいるんですけど……、経験の差としか言いようがない。自分はまだまだ覚えなくちゃいけないことがたくさんあるんです」という仁さん。
父親との差は、ちょっとしたコツを教えてもらうことで解決できるようなものではなく、経験を積むことでしか埋めることができないものであると理解しているようです。
医療業界の厳しさを専門学校時代に体験したという仁さんですが、端から見れば、午前3時に真っ暗な海に出て、魚を獲り、港に戻るのが午後3時という環境はかなり厳しいように思えます。
「周りが親戚ばかりのような環境なので、人間関係での悩みがないというのは自分にとっては有り難い環境です。漁師の世界ももちろん厳しいかもしれませんが、自分にとっては耐えられる世界なんだと思います」
厳しさの種類も様々、人の強さもまた様々。仁さんにとって北淡の海は自分を偽ることなく生き生きと働ける職場環境のようです。