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華やかなヨットレースの舞台裏 「ヤマハの470級プロジェクト」 【Column-潮気、のようなもの】

日本人の平均的な体格に適した二人乗りヨット

 ヨンナナマルキュウ─。いわゆるヨットの“通”は「ヨンナナ」と略して呼ぶことが多いです。正式な名称は「国際470級」。何のことかというと、日本でもっとも普及しているセーリング競技の種目です。日本の大学や社会人のヨット部のほとんどは、この「470級」と、もうひとつ「スナイプ級」というヨットを使用して日々練習を行い、インカレや実業団選手権、さらには国体といった大会に望んでいます。そして、国際舞台で活躍する多くの日本人セーラーが、ヨンナナでトップを目指し、さらにヨンナナの経験を経て他の種目に挑戦し続けています。
 この二人乗りの小型ヨットの発祥地はフランスで、1963年にアンドレ・コルヌ(André Cornu)さんというヨットデザイナーによって設計されました。470級という名称は、艇体の全長が4.7mであることに由来しています。1969年にインターナショナルクラスとなり、以来、国際的な大会が盛んに行われており、現在は、世界を転戦して行われる「World Sailing(旧・国際セーリング連盟: ISAF)」主催のシリーズレース「セーリングワールドカップ」の種目にもなっています。
 なぜ日本で470級がこれほど普及したのかというと、2人の乗員の適正体重が「合計130kg前後」とされており、どちらかというと大柄な体格とパワーを必要とされる他のセーリング競技に比べ小柄な日本人の体格に適しているから、というのが定説です。実際に、470級がインターナショナルクラスとなってから、多くの日本人セーラーが海外の強豪セーラーと対等以上にレースを繰り広げ、セーリングワールドカップなど様々な国際大会の表彰台に立ってきました。

 さて、なんとなく470級のプロフィールがわかったところで、このヨットの製造について触れてみたいと思います。470級の艇体は、World Sailingからライセンスが付与されたビルダーが、「International 470 Class Rules」で定められた規格の中で設計し建造しています。ヤマハ発動機は1975年から470級の建造を開始し、自社のセーリングチームのセーラーをはじめ、多くの大学ヨット部へ470級ヨットを供給してきました。ところが、2002年に自社のセーリングチームが解散となってからは、470級の積極的な研究・開発からは遠ざかっていたのが実情です。
 そんなヤマハ発動機の470級において「再び世界で闘うことのできる艇体開発に取り組もう」という気運が高まりました。その契機となったのが、世界を目指すヤマハセーリングチームの再結成でした。2016年のことです。

厳格な国際規格、限られた僅かなアローワンスのなかでの開発

 ここで不思議に思う読者の方がいるかもしれません。
「設計や建造の規格が定められているなかで、いったいどのような開発ができるのか。他社製のヨットと差別化できるのか」という素朴な疑問です。
 言うまでも無く、セーリング競技は海や湖で行われます。その水域は潮流や風、波などの自然環境が異なります。レースは1日に複数回の行われるのが常ですが、その都度、それらの要素は異なります。実際にヨットに乗るセーラーの好みもそれぞれです。堅い艇体なのか、柔らかい艇体なのか。風上に向かって走るときに最大限の性能が発揮できるのか、またはその逆か。強風に合わせるのか、軽風時に最大のパフォーマンスを発揮できる艇体にするのか。求められる要素は様々です。それらを、許容された規格の中で重心位置などの最適値を求めていくのです。
 ヤマハの470級の開発コンセプトは「帆走時の艇体抵抗の減少」「規定重量を堅持しつつ剛性を向上」「艇体慣性モーメントの最適化」の3本柱で、長年にわたって積み上げてきた「3D形状計測技術」「モーダル解析技術」「FEM解析技術」等の強みを駆使し、国内外のセーリング有識者たちとのコラボレーションで具現化していくこと、というものでした。そしてプロジェクトが発足してから3年を経た2019年に、ヤマハの新しい470級が完成しました。

th_470級ヨット

 どのようにして、どのような艇体を完成させたのか、それを書こうとすると専門的すぎるし、小子にもなかなか理解できないので、ここでは省きます。
 開発担当者にわかりやすく語ってもらったところによると「剛性と慣性モーメントのバランスの最適化を目指しながら、耐久性と操縦性を高次元で両立しています。トップセーラーたちのレベルに呼応し、彼らが自信を持ってレースに臨むことのできるコンペティション・モデルとなっています」とのことです。
 慣性モーメントとは「I=∫r2dmI=∫r2dm」で表され……。やっぱりやめときましょう。ただ、水槽実験(写真)や、コンピュータによるシミュレーション、トップセーラーによる評価テストを様々なコンディションの中で何度も繰り返し、規格の中で許容された数ミリ単位の調整をしながら、現在の艇体を完成させていったその現場の3年間を、ほんの一部ながら私も見てきました。気が遠くなるような作業の割に、他艇とどれほどのアドバンテージを生むことに成功したのか─、素人からはなかなかわかりにくい、というのが本音です。それでも、開発者たちと開発に関わったセーラーたちの情熱は、「感動創造企業・ヤマハ発動機」そのものという印象を受け続けてきました。

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ヤマハセーリングチームの活躍に期待したい

 艇体完成後、実際に使用しながらセーラーたちが細部のチューニング繰り返しレースに臨むのが一般的なケースですが、コロナ禍によって、プロジェクトチームが目指していた計画は大きな変更を余儀なくされました。それでもこの夏に行われている国際的なヨットレースでは、アメリカの男子チームがヤマハの470級に乗って出場し、健闘しています。
 また、新しいヤマハ発動機の470級は、大学のヨット部にも注目され、導入するところが出てきました。

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 もちろん、次回の大舞台への出場を目指して始動している髙山大智と盛田冬華のペアは、ヤマハの470級を使用してトレーニングを続け、レースに出場しています。
 ヤマハファンのひとりとしては、今後もこの二人の活躍に注目し、声援を送りたいところです。

田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。東京生まれ。

ヤマハボート


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