アジアの海の上に暮らす、生粋の海洋民族たち。 【Column- 潮気、のようなもの】
西太平洋に浮かぶフィリピンのミンダナオ島、インドネシアのカリマンタン(マレーシアではボルネオ)、同じくインドネシアのスラウェシ島などに囲まれたセレベス海は、シパダンに代表されるように、極上のダイビングポイントを有する海として名高い。それと同時に、海を漂いながら生きてきたバジャウ族が定住しているエリアとしても知られている。シパダンの玄関口として知られるセンポルナの町も、人口の多くがバジャウ族なのだと聞いた。
現在のバジャウ族の多くは、海岸沿いに高床式の家を建てて定住している。もう20年近く前のことだけど、ボルネオの東方に浮かぶマブール島を訪れたことがある。ダイビングリゾートが点在するこの小さな島にも海の上に建てた高床式の家に暮らす人たちがいて、魚を捕りながら生活する彼らの姿を見ることができた。
リゾートという独特の雰囲気に包まれていたせいか、どことなくこぎれいに見えたものだった。
ボルネオのタワウという町にあるバジャウ族の生活区を訪れたのはマブールからの帰途だった。夕方近くで、ほとんどの男たちが海から戻ってきていた。
獲りたての魚や果物を売る露天や雑貨店でにぎわう舗装されていない道路には人があふれていた。その道路から海に向かって桟橋(といっても、足を踏み外しそうな板が心細く渡してあっただけ)が、かなり長い距離を伸び、さらにその桟橋から魚の骨のように左右に伸びる渡し板の先に、家々が建てられていた。
ガイドの案内でカメラを持って入っていくと、取材で訪れたことに気づいたらしく、漁から帰ってきたばかりの男たちが目の前の海を全速力で、アクロバチックにボートを走らせはじめる。そのうちに、家でくつろいでいた男たちまでが、再びわざわざボートを降ろしだし、家々の密集する海は大騒ぎになってしまった。ライフジャケットを着けていないことが気になったけれど、彼らのサービス精神にいたく感動し、写真を撮らせてもらった。
彼らのボートを造っている造船所(といっても小さな小屋)があって、そこも覗かせてもらった。建造中のボートは細長く、とてもシンプルな構造である。船大工は、海で大はしゃぎしていた男たちとは対照的に職人然として、手を動かしながらはにかんだ笑顔をこちらに向けた。
彼らの住む家の中にも入れてもらえた。外見から想像していたイメージに反して、きれいに片付けてあったことに少しばかり驚いた。調度品も不足がないようで、テレビなどは悔しいことに当時の我が家のよりも立派な大画面であった。
現在のバジャウ族はフィリピンやインドネシア、マレーシアの海に居住しているが、もともとは、これにオーストラリアまでを含めた海域一帯を自由に往来していた民族だ。バジャウにとって海はひとつであり、すべての海を自分のいるべき場所であったと思っていたに違いない。今でこそ国境という目には見えない線によって隔てられ、各国の政策に誘導されて、家を持ち、定住してはいるものの、そんな背景をルーツとした民族の心持ちとはどんなものだろう。
同じくボルネオ島の一部を領土とするブルネイ・ダルサラーム国には、1300年以上の歴史を持つ広大な水上都市「カンポンアイール」がある。その都市にはブルネイの全人口の十分の一に当たる、およそ40,000もの人々が水上に建てた家に暮らしているのだ。彼らはバジャウ族とはルーツを異にする民族で、ブルネイ族とされている。
カンポンアイールには学校や病院、警察などのインフラも整い(と言ってもすべて海に浮かぶ島ごとに建つ)、それらへの行き来に、人々は下駄を突っかけて出かけるように、何隻もある格安の水上タクシーにひょいひょいと飛び乗っては利用している。
火災などの災害対策は課題の一つで、国はカンポンアイールの居住者になるべく陸にすむようにと呼びかけているらしいが、移住はなかなか進まない。彼らにとって海の上に暮らすことは、拘りなのだろう。
バジャウもカンポンアイールの人々も、南国のリゾートで水上コテージに泊まって喜ぶ我々からしたら、それはもう羨ましくも思える生活をしているわけだが、実は海の上の家に暮らす人々も、同じような感覚で、つまり海の上の暮らしを大いに楽しんでいるのではないかと私は睨んでいる。
もちろん、陸で暮らす者にはわからぬ厳しさなんてことも味わっているかもしれない。非日常ではなく、日常が育んだ無邪気で自由気ままに見える海洋民族の「海が好き」に、軽薄に「海が好きだ」などと口にする私のような人間は到底かなわないのである。
※掲載した写真は2005年に撮影したもので、ライフジャケットの未着用の写真が含まれています。現在、日本ではボート乗船時のライフジャケット着用が法令化されています。また、ヤマハ発動機では海外においてもライフジャケットの着用を推奨しています。