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船遊びの“天敵”を克服したい! 【Column-潮気、のようなもの】

 もうだいぶ前の話になるが、小学生を対象にした東京湾の自然観察体験会に乗り合わせたことがある。大きな平たい漁船に子どもたちをたくさん乗せて、海に出た。事前に仕掛けておいた網をみんなで上げた。デッキに上がった小魚やタコやエビ、カニなどを手づかみで観察している子供たちはとても楽しそうで、それを眺めているだけでこちらも幸せな気分になった。

 そんな幸福感に包まれた世界の中で、「こんなはずじゃなかった」と、苦悩に満ちた数十分を過ごしたであろう子どもがひとりだけいた。自然観察体験会の船で、自然ではなく、彼は船酔いを体験したのだった。海の生き物に触れて、歓声をあげる仲間たちの存在をどこか遠くに感じながら、その子だけは顔を上に向けることもできず、ただひたすら時が過ぎるのを耐えた。

 「あなたは船酔いなんてしないのでしょ?」と、船酔いしている人から恨めしそうに言われることがあるけれど、私だって人間だ。船酔いぐらいしたことがある。子どもの頃は乗り物に弱く、車に乗っても酔っていたし、ヨットに乗り始めた頃にも、よく酔っていた。だから、そのつらさはよくわかる。

 船酔いは、医学的には「動揺病」と呼ばれる。日常とは異なる、へんてこな動きに身体が対応できずに、自律神経失調となり、気持ちが悪くなる。個人差があって、酔わない人もいる。これが、船酔い経験者のわたしから言わせると、けっこうタチが悪い。どんなに彼らが明くる励ましてくれたって、船酔いしている者にしたらダメなときはダメなんである。励ましの言葉がかえって鬱陶しく、惨めな気持ちになるのだ。

 ただ、私が船酔いに苦しんでいたとき、ヨットの先輩が投げかけたある言葉は、今でも心に刻み込まれている。
 「バカヤロウ。船酔いで吐くなんざ、小便するのと同じであたりまえだ。とっととすっきりして、とにかく働け。でもデッキで粗相はするなよ」
 何かというと「バカヤロウ」と口にするのが気になる先輩であったが、このいささか品に欠ける言葉に愛を感じたものだった。そして、なるほどと納得した。船酔いは正常な人間の営みの中で起こりうる、まっとうな生理現象なのだと思えば、惨めな気持ちも少しは薄らぐ。そもそも、船酔いしないなんて自慢にならぬ。はっきりいって、船酔いしない君たちはおかしい!

波ひとつない海であれば、船酔いも簡単には起きない

 船酔いの原因には体調や心理的な側面もある。嫌々ながら船に乗ったとき(若い頃に仕事で船酔いしたのはそのためだ)、極端な寝不足のとき、宿酔ふつかよいのとき(このケースにおける気持ち悪さは原因が曖昧なんだが)に船酔いは起こりやすい。

 対処法としては、まずは原因を自ら起こさないこと。船に乗るときはうきうきと。運航に当事者意識を持つ。体調を整え、前日には深酒をせず、たっぷりと睡眠をとる。満腹や空腹も良くない。そのほか「なるべく前側の遠くの景色を見る」「キャビンよりは風当たりのいいデッキにいる」、さらに「指をかむ」「飴をなめる」といった対処法も聞く。

 「酔い止め薬」はどうだろう。私は「安心感を与える精神的なもの。要するに気休めだ」と、医学的な根拠に見向きもせず、長い間、その効用を信じてこなかった。ところが、車に乗せると必ずと言っていいほど乗り物酔いする飼い始めたばかりの愛犬君に酔い止めを飲ませたところ、ピタリと吐かなくなった。薬を飲んだという自覚がないのに酔わなくなったということは、しっかりと薬が作用しているってことなのだろう。まるで動物実験をしたようで申し訳ないけれど、つまり、酔い止め薬は効くってことだ。おまけに愛犬君は最近では薬を飲まなくても酔わなくなった。

 そうだ。最も効果的なのは「慣れる」ことなのかもしれない。ちなみに若者より、年齢の高い者の方が船酔いは起こりにくい。要するに年かさのベテランが船酔いをしなくなるのはこのためだ。車の場合はその傾向があからさまだから納得できる。さらに自身で運転しながら酔う人もめったにおるまい。ボートでも、たぶん操船していれば船酔いもしなくなる。
 そのうちに慣れるもののために、ボーティングやセーリングの楽しさ、そこでしか得られない海の素晴らしさを放棄するなんてもったいないと思う。

 東京湾の船の上で酔ってしまった子どもは海と船が嫌いになってしまっただろうか。だとしたら痛恨の極みである。「船で吐くのはオシッコするのと同じなんだぜ」と、声をかけてやれば良かった。

文と写真:田尻 鉄男(たじり てつお)
学生時代に外洋ヨットに出会い、本格的に海と付き合うことになった。これまで日本の全都道府県、世界50カ国・地域の水辺を取材。マリンレジャーや漁業など、海に関わる取材、撮影、執筆を行ってきた。東京生まれ。


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