セーリング・コーチが期待するヤマハセーリングチームと開発プロジェクト 【We are Sailing!】
東京五輪の最終選考後、髙山/盛田の新チームが発足したタイミングでYAMAHA SAILING TEAMのコーチに就任した鈴木國央さんは、シドニー大会(2000年)、アテネ大会(2004年)と2回の出場経験を持つオリンピアンです。鈴木さんが取り組んできたレーザー級は、一人乗りのクラスで、オリンピックのセーリング競技(全11種目)の中で、最も競技人口の多いクラスです。
鈴木さんのコーチとしてのフィロソフィーは、彼の歩んできたセーリング・キャリアと密接な関係があるため、まずは鈴木さんのセーリングの歩みから見ていくことにしましょう。
三重県四日市市に生まれた鈴木さんは、10歳の頃から三重県ヨット(現・セーリング)連盟が主催するジュニアヨットクラブでヨットに乗り始めました。
中学校ではバレーボール部の活動に没頭しながらも、中1から乗り始めたミニホッパー級(かつてヤマハが開発・販売していたジュニア用一人乗りディンギー)でヨットレースの面白さに目覚め、体格が良かった鈴木さんは中学3年で早くもレーザー級に乗り始めました。中学卒業後は、ヨット部のある和歌山県の海星高校に進学。二人乗りのスナイプ級に乗りつつ、レーザー級での活動も続け、高校3年生の秋に出場した全日本レーザー級選手権で5位に入ったことで、高校生ながら堂々のナショナルチーム入りを果たしました。
高校卒業後、鈴木さんは大学ヨット部という進路を選択せず、和歌山県にある企業に就職しました。和歌山市内にあるこの会社は、ヨット界では名の知られた存在です。会社のヨット部にキールボート(ディンギーよりも大型で、センターボードの代わりにバラストの役目も果たすキールを有するタイプのセーリングボート)を所有し、国内外で盛んにレース活動をしている企業なのです。
「結果的には大正解でしたね。僕にとってはレーザー級だけでなく、様々な種類のセーリングボートに乗ることができた。このことが今の自分の財産になっています」
レーザー級において国内敵無しだった鈴木さんは、2000年のシドニー大会、2004年のアテネ大会に出場した後、二人乗りのキールボート種目であるスター級に転向。キールボートのクラスというのは、瞬発力や反射神経といった要素よりも、タクティクスやストラテジーといった要素が重要となるのが特徴の種目です。
鈴木さんはそのスター級で、2008年の北京大会、2012年のロンドン大会とスター級での出場を目指して活動し、スター級の三大メジャーレガッタといわれる東半球選手権で3位(スター級では日本人初の表彰台)を取るなどの活躍を見せましたが、惜しくもスター級での出場はかないませんでした。
鈴木さんが、コーチングというジャンルに出会ったのも、ちょうどスター級で活動していた頃でした。ジュニアのOP級の欧州遠征にコーチとして帯同して欲しいというリクエストを受けたのが最初ということでしたが、これが意外にも鈴木さんの好奇心をかき立てました。
「もともとコーチしてみたいとは全く考えてなかったんですが、やってみると教えた選手が確実に上手くなるじゃないですか。これは面白いなと」
常識の枠から抜け出せ
鈴木さんとヤマハセーリングチームのヘルムスマン(舵取り)である髙山大智との出会いは、OP級の世界選手権遠征にコーチとして帯同した鈴木さんが、まだ中学生だった髙山の指導に当たったのが最初です。
「何しろ髙山は一所懸命ハイクアウト(身体を艇の外側にせり出してバランスをとる)する選手でした。ハイクアウトするということは、速く走りたいという意志の表れなんです。ストラテジーの理論や、セールのメカニズムを理解できていない子どもでも、ハイクアウトすれば確実に速く走れるということは知っている。自分が理解している確実に速く走れる方法で手を抜かずに努力しているということなんです」
ジュニアの選手の中にも、ストラテジーやヨットのセッティングで速くなることを覚えて、その方法で速く走ろうという選手もいるのですが。
「そんな小手先のことは後で教えればいくらでも身体に付くんです。そんなことよりも、一所懸命ハイクアウトできるという要素の方が大切なんです」
鈴木さんがコーチとして心掛けているポイントは?
「一から理解して取りかかろうということ。ヨットって、理由なんか考えずにこうしろと教えられることがけっこうあるんです。でもそれぞれの動作や行動の理由を一から理解していれば、自然と、自分自身で答えにたどり着くことができるはずなんです」
確かに、操作が複雑で多岐にわたるヨットでは、理由はさておき『こうしたらこうする』的なマニュアルがたくさん存在し、何も考えずにマニュアルに従えば、取りあえず走らせることはできます。
「一から理解していないと応用がきかないんですよ。ちょっと状況が変わっただけでどう対処していいかわからなくなる。極端な例が、クラスが変わった場合です。例えば470級にはスピネーカー(追い風用の三角帆)があるけど、スナイプ級にはない。470級のマニュアルではスナイプ級に対処しきれない。でも、一から理解していれば、どんなクラスに乗っても対応できる。つまり普遍的なセーリングスキルが身に付くということです。これは、僕自身が高校時代から様々なクラスに乗ってきた経験からくるものだと思います」
そのクラスでは常識となっていることが、他のクラスにいったら全く通用しないことなど珍しくないと、鈴木さんは言います。
「国体種目だったSS級(国体のために開発された二人乗りのヨット)のコーチングをしていたとき、当時は470級のようにヘルムスマンがメインシートを担当していたんですが、このボートの場合はクルーがメインシートを担当した方がチームとして効率よく機能するんじゃないかと考えて、その方法を取り入れて優勝という結果を得ました。クルーがメインシートを担当するというのは、49er級やトーネード級などのクラスでは当たり前に採用されていたシステムですから、別に新しいことでも何でもない。一つのクラスだけを見ていると、そのクラスの常識の枠から抜け出せない。常識を疑えということです」
そんな鈴木さんから見て、髙山という選手はどんなセーラーなのでしょう。
「今も一所懸命ハイクアウトするセーラーですよ(笑)。今の自分に足りないところを的確に見極め、そこを集中的にトレーニングすることのできる選手だと思います」
その髙山が足りないと思っている部分とはなんなのでしょう?
「タクティクスですね。そこが足りていないんじゃないかと指摘したことがあって、その時は反発してましたが、自分は“一から”理解できていないということに気づいたみたいで、昨年の全日本選手権の後はタクティクスの習得ということにフォーカスしてますよ。自分で気づくというか、納得して取り組むということが大切ですからね」
総合力を高める上で欠かせないクルーのスキル向上
では、盛田冬華というクルーについては?
「盛田はスゴイですよ。よく言われる、まるで乾ききったスポンジのように様々なことを吸収して、どんどん自分のものにしていく。一見すると謙虚なように見えるんですが、自分が納得できないことに対しては、食い下がって質問してくるような芯の強さも持ち合わせている」
ヘルムスマンとクルーの総合力で勝負できるチームを作り上げることができれば、国内選考を勝ち抜くことは難しくないと鈴木さんは考えます。
「ヨットの二人乗り種目って、どうしてもヘルムスマン中心のチームになりがちなんですよね。これはマット(2020東京五輪セーリング男子470級ゴールドメダリスト、YMCアドバイザーを務める)も言うんですけど、二人の力を最大限に引き出さなければ頂点には立てない。今のところ髙山と盛田の経験値は大きな差がありますが、盛田がもの凄いスピードで吸収していってるので、二人のコミュニケーションを高めていけば、総合力で勝負できるチームになるはず」
鈴木さんは,コーチとして、また一人のセーラーとして、セーリングチームだけでなく、ヨットの開発に関わるヤマハに大きな期待を寄せていると言います。
「470級ってモントリオール大会で初めて採用されてから、すでに46年も経っているクラスなので、艇体やリグ(マストやセールをトリムする帆装)などのハードについては各国が徹底的に研究し尽くしていて、ある意味で煮詰まっているようなところがあるんです。もう、これ以上やることはないという状態になっているので、シンプルなヘルムスマンのハイクアウトが意外と重要な要素にすらなっているんですよ(笑)。そんな470級というクラスを、一から検証しなおして、全く新しいアプローチで設計する。まさに常識を疑っていく作業なんです。こんな作業ができるのって、世界的に見てもヤマハくらいじゃないですか」
一から理解するという鈴木さんのコーチング・フィロソフィーにも、このヤマハのチャレンジは合致するのだといいます。
「ヤマハの藤井さんやACTの金井さんといった、信頼できる天才たちが関わってつくり出したこの470は、乗り込んでいくうちにどんどんいいフネになってきています。日本代表の最終選考となる2023年のISAFワールド(全クラスの世界選手権が同時に開催される)あたりでは、とんでもないスピードを披露できると思ってます。僕自身も楽しみですが、このプロジェクトに関わっていない、ヤマハの人たちにも、ぜひとも楽しみにしていて欲しいと思います」