プロローグ〜FRP板の上で飛んで跳ねてみた50年前。 【ニッポンの魚獲り】
「こんな薄っぺらのプラスティックが本当に壊れねえのか?」「大丈夫です!」
「すぐに壊れて舟が沈むんじゃないの?」「壊れません! 沈みません!」
港の片隅に置かれたFRP板の上で漁師さん達が力いっぱい板を踏みつけたり、蹴飛ばしたり、ドタンバタンと跳ねながら、そんな会話が繰り広げられた─。というのは、いくぶん想像混じりではありますが、1960年の半ば、ヤマハの漁船開発スタッフ達がFRPのカットモデルを港に持ち込んで、FRP船の丈夫さを丁寧に解いていったのは実話です。
1960年代、漁師さんたちはFRPに疑心暗鬼でした
1960年代当時、日本の沿岸では約2万3千隻の和船(日本の伝統的な小舟)が漁業を営んでいましたが、そのほとんどが木の板を貼り合わせて作られた木造船でした。ところが、木材、そして舟を造る船大工の減少傾向、さらには搭載エンジンの大型化による漁業形態の変化に、FRP(繊維強化プラスティック)製の和船が注目されはじめることになります。
当時ヤマハでは、FRP製の和船を開発するにあたり、全国各地で使用されている木造和船を集めて、その性能の解析を行いました。木船からFRPへ変更することで、舟の軽量化が見込まれましたが、大幅な速力アップが実現する一方で、作業時の安定性や風流れの抑制、イケス(魚艙)の深さの確保などさまざまな課題に直面しました。
その最初の答えとして誕生したのが18尺と16尺の日本では初となるFRP製の和船でした。とはいえ、それまで木造船に慣れ親しんできた漁師さんたちからは、そう簡単に信頼を得ることはできませんでした。一部で熱烈なファンを生む一方で、FRPを「プラスティック製の船」と軽んじつつ、伝統的な木船にこだわる人はまだまだ多かったのです。
そして話は冒頭のFRPカットモデルのエピソードに戻ります。当時の漁船開発スタッフたちは、FRPの耐久性や信頼性の認知に努めるとともに、津々浦々の漁師さん達の意見を丹念に拾い上げ、作業時の安定性や積載量の増加、重荷時の粘り強い走りといった意見を反映させて、さらに改良した和船を開発していったのです。この新しい和船は瞬く間に日本の各地に普及しましたが、ヤマハではこのFRP製和船をベースに、漁師さんたちの声を聞きながら開発を進め、全国の様々な海辺と漁法で使用可能な汎用和船と、それぞれの地域性に適合した和船のラインアップを持つようになったのです。
FRP製漁船の開発は有明海の“海苔”からはじまりました
和船の開発でFRP船の利点を理解してもらうことができると、ヤマハは量産型の漁船(ヤマハでは、和船に比べて比較的大型で、船内機を有する漁業専用船を指します)の建造に本格的に着手することになります。そして最初に建造されたのは、有明海の海苔養殖用の運搬船でした。
一般的に漁船といえば「浜が違えば漁船の形も違う」というのが定説でしたが、当時の有明海の海苔養殖では、運搬船として使用される約6000隻がほぼ同一形(仕様)という、全国的に見てもかなり特異な地域だったのです。
この海域の木造船をFRP化するにあたっては、有明海に古くからあった造船所と漁師さんたちから様々なことを教えてもらいました。有明海の海苔船には、作業時の安定性や積載量に加えて、スピードが求められました。特に海苔の加工場と漁場が離れているケースが多いため、移動の時間を短縮させるというのは鮮度維持の点からも重要視されていたわけです。
意外なことに、実は当時の木造船は、スピード性能にはとても優れていました。船尾に羽根(一種のフラップ=船の走行時の姿勢を調整する装置)を取り付けることで、効率の良い滑走が可能になっていたのです。しかし、この羽根を設けることで、波を乗り越えるときやチョッピーな海面(波長が極度に短い状態)を走る場合には、船をコントロールすることが非常に難しい船でもあったのです。ヤマハではこれらを踏まえて建造を進めていきました。
開発を進めていくうちに、できあがった船のイメージは従来からある有明海の海苔養殖船や伝統的な和船と同様に浅く、細長く、フレアーの無いものでした(水面から上方に向かって横方向に広がっていく逆三角形の船型ではなく水面に対して四角いイメージ)。そしてこの日本独特の船型を踏襲した船の模型を作成してテストを重ねることで、抵抗が少なく、安定性に優れ、操船のしやすい船に仕立てることができました。 それがヤマハで初めての量産型漁船「DW-40」です。この「DW-40」は約6000隻の有明海の海苔養殖船市場において累計販売数が4500隻にものぼります。さらに、この有明海仕様をベースとしたDWシリーズの漁船は、瀬戸内海の刺網漁船や、宮城・松島の海苔養殖船など、さまざまな地域に広がっていきました。
この写真は、上が有明海での初めてのFRP漁船「W-40A」、下が最新の海苔養殖用の専用船「W-480-0A」というモデルです。現在では快適性を高めるブリッジ(船橋=操舵室)の採用が当たり前になりました。またこの最新型漁船は、大きめのフレアがついた流線的なデザイン、また、ヤマハの多くのプレジャーボートでも採用している、船首部分に幅広いデッキを有するスクエアバウという“かっこいい”デザインを採用しています。
また、この地域の海苔養殖船のオーナーさんたちは思い思いのカッティングシートをつくって、愛艇をドレスアップしています。そんなところにも50年という歳月の流れを強く感じます。
魚介に舌鼓をうち、漁師やフネのことを思い出す
私たちの日々の食卓を彩り、楽しませ、健康を支えている日本の漁師さんたちの大切なパートナーである「漁船」の開発をヤマハがはじめてから、50年以上が過ぎました。その間、ヤマハの漁船開発スタッフは、北は北海道から南は沖縄まで、日本各地の漁業の現場に立ち会い、ときに一緒に漁船に乗って漁を手伝いながら、漁師さんと膝を交えてあーでもない、こーでもないと、議論を重ね、漁師さんたちの役に立つ、愛される漁船の開発を続けてきました。
こうした事実を知り、また現場に立ち会う機会を得てきた身としては、魚をはじめとする美味い海産物に出会うたびに、漁師さんの顔やヤマハの漁船のことを思い出してしまいます。もちろんそれもまた、かなり特異な性質といえますけれど。
ともあれ、次回からはこうしたヤマハの漁船を使った漁のこと、船のこと、そして船を使って魚を獲り、または魚を育てている漁師さんたちの姿をこのコーナーでお伝えしていきますので、しばらくの間お付き合いください。