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漁師の父とともに出港、初めての体験操業 【海での時間 - vol.7】

「#海での時間」のコンテスト開催にあたって、

ヤマハ発動機社員も、みなさんと海での時間を分かち合いたい!

ということで、「ヤマハ発動機社員がつづる#海での時間」と題し、社員のリレー投稿を実施しています。

第7回は、広報のお仕事をしている、ベテラン男性社員MTさんです。

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「明日は会社に来なくて良いから、お父さんと一緒に漁に行って、体験操業レポートを出しなさい。」

28年も前のことになる。バイクに乗るのが好きだったこと、漁師町で育ち、船や船外機を近しく感じていたこともあり、ヤマハ発動機を就職先に選んだ私は、静岡県の本社で2カ月間の研修を終え、配属先である鹿児島店に赴任することが決まっていた。

鹿児島に行く前に、福岡にある九州販社の本店で2週間の勤務を言い渡された。新人が赴任する前の、研修の一環だったのだろう。実家が福岡市内なので、私としてはちょうど良かった。

そんな束の間の実家暮らしを満喫していたある日。マリン営業部長と面談する機会があり、色々と話をする中で、こう尋ねられた。

「お父さんは漁師さんということだけど、一緒に漁に行ったことはあるのか?」

思い返すと、子どもの頃に2-3回、父の船で釣りに連れて行ってもらったことはあった。ただ、“操業”について行ったことはない。そのことを告げると、前述の“業務命令”を言い渡されたのだった。


私の父は漁師で、その当時は「吾智網(ごちあみ)」と呼ばれる網で鯛を獲る漁をしていた。いつも朝4-5時ごろに出漁し、17-18時頃に戻ってくる。水揚する場には何度も行ったことがあったが、その都度、たくさんの魚が次々とトロ箱に氷づけにされていた。

父は、長男坊である私には、収入が安定しない漁業を継がせようとは思っていなかった。漁師の厳しさを身をもって知っているからこその優しさだったのだろう。ただ、自身が日常使っている漁船や船外機を製造するメーカーに息子が入社すると分かった時には、少し嬉しそうだったことは覚えている。

いままで漁に連れていってくれと頼んだこともなかったので、「これはいい機会だ」と思い、帰宅してすぐに “業務命令”のことを話すと、父は何となく嬉しそうに了解してくれた。


翌朝、いつもどおり4時だったか5時だったか早い時間に出港した。いつも父とともに漁をしている親戚のお兄さんとともに玄界灘を目指した。

漁場に着くと、船をゆっくりと前進させつつ、船尾から「吾智網(ごちあみ)」を手作業で入れ始めた。網が巨大なので重量もかなりある。すべての網を海中に入れた後、今度は油圧のローラーを使いながら、手作業で網を引き揚げ始める。網を入れて引き上げるまで合計1時間くらいかかっただろうか。結構な重労働だった。

しかし、ようやく引き揚げられた網の中は空っぽだった。その後も何度か同じ作業を繰り返したが、狙いである鯛はおろか、ほかの魚もまったく網には入っていない。

「今日は全然獲れんから、早いけど飯食って帰るか」ということになった。天気が良かったからか、アルミの弁当箱に詰められた味の濃いおかずをつまみながら、おひつの冷たいご飯を船上で食べるのはすごくおいしく感じた。

操業中、私はレポートのための写真を撮影したり、漁労機器の使われ方をつぶさに観察した。船尾に装備されたローラー類がどうやって使われるのか、魚群探知機や無線がどのように役立っているのか、この目で見て「なるほど」と理解できたことが多くあった。

一番の衝撃だったのは、博多湾内の漁港から玄界灘まで結構な量の燃料を使って、1時間以上走って漁場まで行ったにも関わらず、一匹の魚も獲れずに帰ってくる日があることを知ったことだった。普段、早朝から夕方まで操業し、水揚げ場でもその都度、たくさんの魚が次々とトロ箱に氷づけにされている様子しか見たことがなく、それがあたり前だと思っていた私は、自然を相手にする仕事の大変さを知ったのだった。

その後、鹿児島で漁船直売営業マンとして6年8カ月を過ごした私は、その間、仲良くなった漁師さんにお願いし、何度か同じような体験操業をさせてもらい、それぞれの漁業の勉強をした。錦江湾でのブリ養殖業、種子島沖でのモジャコ漁などなど。

モジャコ漁は、養殖のためのブリの稚魚を獲る漁だ。この漁では、潮目を探すためのデジタル水温計、モジャコ網を引き揚げるためのモジャコリール、モジャコを活かしたまま帰港するための強制循環イケスが必要となる。

このように、各々の漁法にはどのような船・エンジンの性能・艤装が求められるのか、それらを知るにはこの方法が一番だ。有難いことに、若い営業マンのこのような頼みを喜んで受けてくれる漁師さんは多かった。

▼モジャコ漁に同行させてもらったときの写真

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ただ、雨降りで時化の中同乗した前述のモジャコ漁では、船酔いしないと思っていた自分も食べたものを戻してしまうほどのうねりや波で、漁どころか、船上に立っているだけでも一苦労

船・エンジン・漁労機器を理解したり、薩摩弁+漁師言葉による漁師さん達の会話を理解したり、と、分からないことだらけで走り回っていた6年8か月の漁船営業時代は、今となっては良い思い出だ。

漁船直売の仕事を通じて、自然との闘いである漁師という職業に、そして父に、今では尊敬の念を抱いている。

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