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楽しさばかりではない、厳しい海での体験はきっと糧になる。 【社員紹介-私が海を愛する理由】

 9月17日と18日の2日間にわたって、静岡県湖西市にあるBOAT RACE浜名湖(浜名湖競艇場)で行われた「2023年ソーラー・人力ボート全日本選手権大会」(主催:日本ソーラー・人力ボート協会 )。大会の2日目、競艇場に隣接する芝生の広場には、各チームが工夫を凝らした手作り感満載の競技艇があって、参加者たちは出艇前のチェックに余念がありません。その中に、ヤマハ発動機社内のソーラーボートの同好会「マンマユート」(イタリア語で“ママ、助けて”の意)のメンバーたちの姿がありました。このチームのリーダーが、ヤマハ発動機の艇体開発部に所属するチョン・ジェフン(鄭載勳)さんです。

 ジェフンさんは韓国の釜山市出身ですが、ネイティブの日本人とまったく変わらぬ流ちょうな日本語でチームメイトたちと談笑していました。
 「子供のころ日本で1週間ホームステイをした経験から、ずっと日本には興味を持っていました。日本語は、テキストや高校の第2外国語の授業を通じて学び、さらにワーキングホリデーで1年間日本で暮らすことで上達しましたね」

大会二日目の朝、スラロームと一時間耐久レースへの出走に備え
準備をするマンマユートのみなさん

 ジェフンさんがこの大会に初めて参加したのは2015年の夏。当時は釜山の大学で造船海洋工学を専攻していました。と同時に学内の人力ボートのサークルに参加しており、そのメンバーとして来日したのです。このときに出会ったのが第一回大会から人力部門で出場を続けているヤマハ発動機の同好会「チーム・コギト」のメンバーたちでした。ちなみに「コギト」は、人力ボートのペダルを漕ぐ“漕ぎ人”とフランスの哲学者、ルネ・デカルトの“cogito ergo sum =我思う、故に我あり”をかけたダジャレから命名したとのことですが、マンマユートといい、ネーミングからしてとても楽しそうな雰囲気です。このチーム・コギトには1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックのボート競技・シングルスカルに日本代表として出場した堀内俊介さんも“漕ぎ人”として参加してきました。60歳を過ぎた今は“監督然”とした出で立ちでメガホン片手にチームを鼓舞しています。

ジェフンさんが最初に出会ったヤマハマンたち。チーム・コギトのみなさん。
ジェフンさんも当初はこのチームに参加。後列右がオリンピアンの堀内さん
人力ボート部門に出場の「コギト」はペダルを漕いで艇体を浮揚させる水中翼船

 それまではヤマハ発動機という会社がプレジャーボートを造っていることも知らなかったというジェフンさんは、チーム・コギトのメンバーの、自由で楽しそうな雰囲気に接すると同時に、学生だった自分たちのレベルとは異なる、日本の会社の人たちのモノづくりに対する拘りにも刺激を受けたと言います。
 また、大会を主催する協会のメンバーであるヤマハ発動機・OBの小林昇さんとの出会いもありました。小林さんは1980年代に、ウェーブランナー(ヤマハの水上オートバイ)の開発に深く関わり、“ウェーブランナー・パパ”のニックネームで世界のヤマハマンたちに知られるボート・デザイナーです。大会中に開かれた技術交流会を通して小林さんから「ボートの設計」についていろいろな話を聞き「自分も世界でヒットするような乗り物の開発に携わることができるかもしれない」と、ボートデザイナーという仕事に憧れ、日本の「ヤマハ発動機という企業」に深く興味を抱くようになりました。

 大学で造船海洋工学の学部を選んだのは、当時の韓国では造船・海運業が成長分野だったことがきっかけだったそうですが、「もともと体育関係の分野に興味があったこともあり、レジャーの分野で船に関わることができるのなら、そちらの方が良かった。ヤマハがプレジャーボートを製造していると知って、ぜひこの会社で働いてみたいと思うようになったんです」と言います。

釜山の海で遊んだ少年時代と海の厳しさを知った海洋警察の任務

 ジェフンさんが生まれ育った釜山は韓国第二の都市であり、随一の海洋リゾート都市でもあります。海岸には大きなホテルが建ち並び、夏になると多くの人々が集まる賑やかなところです。家族と暮らしていたマンションの部屋からは海が見えました。小さな頃から船に特別な興味があったというわけではありませんでしたが、それでも「海にはよく遊びに行きました。小さな舟で近くの島に渡り、飛び込みをしたり、泳いだり」と、多くの子どもがそうであったように、海や川は美しく楽しい遊び場だったと少年時代を振り返ります。

ジェフンさんの少年時代の釜山。真夏の海雲台ビーチ(2010年/編集部撮影)

「穏やかな海はいいですよね。優しくて。自分にとって、とてもリラックスできる場所です」
 
 こうした多くの人たちが持つ楽しい海の思い出ばかりではなく、ジェフンさんは、少し特異な体験もしています。
 「韓国では兵役の義務があるんです。18歳になると手紙が来て軍隊への入隊を促されます。入隊の時期を先延ばしすることもできるのですが、どうせなら早くという気持ちで、大学1年生の途中で一度休学をして兵役の義務を果たしました」 
 ジェフンさんが入隊したのは海軍で、そこから警察組織である海洋警察庁に配属されました。

「乗船していたのは、ふつうのボートとは異なり、3000トンクラスの大型の警備艇で、主に韓国の済州島(チェジュ島)周辺を警備する任務でした。沖に出るとそのまま2週間を船で過ごし、その後の1週間は陸上での任務。その繰り返しです」

 そこにはリラックスできる穏やかな海の姿とは異なる世界が待ち受けていました。荒れる海の中での航海も、乗員として幾度となく経験しました。そして2014年、日本でも報道され、記憶に新しい観梅島(クァンメド)沖の海上でセウォル号の沈没事故が発生します。
 「当時は除隊前で、海から離れてオペレーションルームで勤務していたため、直接救助に当たるなど現場に向かったわけではないのですが、修学旅行中の高校生など多くの若者の命が失われた痛ましく悲しい大事故に接しました。海はただ楽しい場所というだけでなく、危険を伴う場所でもあるということを強く意識することになった体験でした」

プレジャーボートで日本の海を楽しむ

 入社後、希望通りボートの開発を担当する部署に配属され、プレジャーボートの開発に関わってきたジェフンさん。

 韓国からのグローバル採用で、人力・ソーラーボートの同好会にも楽しそうに関わっているからということなのでしょう。ジェフンさんは、これまでヤマハ発動機の社内で何度か取材され、また、地方紙でも紹介されたことがあります。
 「でも、どれも本当の自分よりもすごく良く書かれすぎているなあ、と思ってしまいます(笑)」

 それらの記事のひとつに、職場の仲間と休日にボートフィッシングを楽しんでいることが書かれていて、「みんながタイやヒラメやカサゴ、先日はアカヤガラという珍しい魚まで釣ったりしているのに、どういうわけか自分はフグばかり釣れます。なぜなんでしょう?」というジェフンさんのちょっとおどけたコメントがありました。
 少なくとも、釣りの腕はまだまだのようですね。

マンマユートは若手中心。
コロナ禍や前リーダーの海外赴任等が重なって活動が中断していたが
ジェフンさんが手を上げ活動が再開
200mレースで走行するソーラーボート「マンマユート」

 ソーラー・人力ボート全日本選手権大会では、残念ながら二日目の競技の途中でマンマユートは艇体トラブルが発生し、最後の1時間耐久レースには参加できませんでした。
 「お恥ずかしいところを見せてしまいましたね。でも来年こそ頑張りますよ。目標は常勝しているスズキさんの社内チームの水中翼船に勝つことです」

 こちらも釣りと同じく遊びの世界。海の楽しさも、辛さ、厳しさも体験してきたジェフンさんをリーダーとするマンマユートの仲間たちが、来年はどのようなソーラーボートを造り上げてくるのか、興味津々です。

(題字:チョン・ジェフン)

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