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83歳で太平洋単独横断。冒険家・堀江謙一さんの偉業にみる、セールボート(ヨット)の魅力 【We are Sailing!】

一般人が自分で操縦してアメリカに行ける唯一の乗り物

 今年の3月26日、エンジンのない全長5.8mのヨットで兵庫県の新西宮ヨットハーバーを出航した冒険家の堀江謙一さんが、6月4日に紀伊水道に設定したゴールラインを通過して満83歳での単独太平洋横断を成功させました。この堀江さんの太平洋横断、実はセールボートの実用に極めて近い実例だといえます。

 世の中にはいろいろな乗り物がありますが、実は公共交通機関を使わず、自分で乗り物を操縦して日本からアメリカに行きたいと考えたとき、実質的な選択肢はセールボート以外にないことにお気づきですか?
 ビリオネアならば自家用ジェットを購入するという方法もありますが、それとて操縦士の免許を取得することが条件となりますし、多くの場合、コパイロットも必要となるでしょう。大型の高級クルーザーの方がヨットより安全かつ確実に太平洋を渡れると思っている人もいるかもしれませんが、まずもって燃料が保ちませんし、小型船舶操縦士の免許では、80海里(約150km)以上沖合に出るときには6級海技士を同乗させなくてはいけません。それよりなにより、機関(エンジン)が復旧不可能なダメージを負った場合のリカバリー手段がありません。さらに大波で転覆した場合の再航行も不可能です。

 その点、セールボートの推進力はセール(帆)ですので燃料は不要です。今回、堀江さんが使った5.8メートルのヨットにエンジンはありません。エンジンのないヨットは免許すら不要なのです。キール(船底にとりつけられた錘)のついたセールボートは外洋において最も安全な乗り物とされています。復元力をきちんと計算して設計されたヨットは、強風で横倒しになっても復元します。仮に180度の転覆をしても、しばらくキャビン(船室)の中で耐えていれば元に戻るような構造になっています。さらに頼みのマストが折れてしまったとしても、折れたマストを再利用して「ジュリーリグ」という、エマージェンシーの帆装を組み上げることで再帆走が可能です。実際に世界一周レースの途中でマストが折れ、ジュリーリグを組んで完走したという例はあります。

 さらにヨットは経済的にも「実用」の範疇です。数百万円も払えば、堀江さんが今回使用したヨットよりもはるかに大きな中古ヨットが買えます。そこに日数分の水と食糧を積み込めば、セールボートは太平洋を横断できる実用的な乗り物となるのです。あとは3カ月程度の休暇と決断があればサンフランシスコの金門橋が見えてくる! そうそう、一番大事なことを忘れていました。それなりのセーリング技術がなければ大洋を渡ることはできません。マストが折れたときにジュリーリグを組めるくらいのシーマンシップは必要ですよね。

堀江さんとともに太平洋を渡った〈MERMAIDⅢ〉号
船内は市販されているセーリングクルーザーとそう変わらない

ただ、ヨットで太平洋を渡ってアメリカに行きたかった

 堀江さんが最初に太平洋を横断したのは1962年、23歳の時でした。今回とほぼ同じサイズの全長5.83mのヨットで94日間かけて太平洋を渡ったのです。GPSもなければインターネットも存在しない時代に、ヤマハセーリングチームが使用している470級より1m長いだけのヨットに、たった一人で乗り込んで太平洋を渡るという行為は、とても「実用」といえるものではなく、まさに命がけの冒険でした。一方で、当時の堀江さんは前人未踏の冒険を成し遂げて一旗揚げてやろうなどという功名心など1ミリもありませんでした。それどころか、日本を出航するときの堀江さんは「社会的に抹殺されてもかまわない」とまで思い詰めての旅立ちだったのです。
 戦後間もない当時の日本は一般人の海外渡航が厳しく制限されていました。高校卒業後、太平洋横断を計画していた堀江さんは、旅行代理店に勤務して海外渡航の条件などを調べた結果、ヨットでの渡航などに対して旅券が発行される可能性がないとわかり、正式な出国手続きをとることなく旅立ったのです。
 「ただヨットで太平洋を渡ってアメリカに行きたいという気持ちだけで、これさえできたら僕の人生は社会的に抹殺されてもかまわないと思っていました」(堀江さん)。
 たまたま入った高校(関西大学附属第一高校)にヨット部があったことでヨットに出会い、ヨット雑誌を読んでいるうちに、セールボートは太平洋横断や世界一周もできる乗り物だと知った堀江さんは、なんとしてでも自力で太平洋横断をしたいという純粋な夢に突き動かされ、そのことが、法を犯すリスクを取ってでも成し遂げたい目標となったのです。

 実際、堀江さんがパスポートも持たずにアメリカに渡ろうとしていることを察知した当局は「アメリカは彼を不法入国として強制送還し、日本で逮捕されることになる」との談話を出していました。それを報じた日本のメディアも批判一色。今で言うところの「炎上」で、まさに袋叩き寸前の状況に置かれていたようです。
 ところが、23歳の堀江青年が金門橋をくぐってサンフランシスコに入港すると、現地の人々は歓待してそれを迎え、地元のメディアはたった一人で海を越えてやってきた青年を英雄として遇しました。当時のサンフランシスコ市長のジョージ・クリストファーは「コロンブスもパスポートは持っていなかった」との名言とともに、堀江青年にサンフランシスコ市の名誉市民の称号を与えたのです。
 この現地の熱狂ぶりを受けて、日本のメディアは堀江さんの航海を偉業として報じ始め、結局のところ堀江さんは、日本に帰国した際に事情聴取を受けたのみで、不法出国については起訴猶予になったのでした。

 そんな当時の日本においては社会的冒険でもあった堀江さんの航海は、同時に太平洋横断でのセールボート使用が実用的であることの証明にもなったのです。その後、堀江さんに憧れた多くの日本人セーラーが、セールボートによる太平洋横断を成功させています。
 昨年(2021年)も元・ニュースキャスターの辛坊治郎さんが単独での太平洋往復横断を成功させています。60年前に比べれば航海計器は見違える進化を遂げ、GPSや衛星電話までもがある現在においてもなお、たった一人で太平洋を越えるというのは、それぞれのセーラーにとっては血湧き肉躍る冒険に違いありません。そんな冒険を実現させてくれるセールボートって、とてつもなく魅力的な乗り物だと思いませんか?

 23歳で単独太平洋横断を成功させた堀江さんは、その後も西回り単独無寄港世界一周(1973~1974年)、世界初となる縦回りでの世界一周(1978~1982年)、さらにはソーラーボートでの単独太平洋横断(1995年)、足漕ぎボートでの単独太平洋横断(1992~1993年)と次々と前人未踏の冒険航海を成功させていきます。しかし、堀江さんの原動力は記録への挑戦ということよりも、航海そのものが楽しくてしょうがないというところにあるようです。

自分の好きなヨットで好きなコースを走る。これ以上に楽しいことはないと語る堀江さん

 「自分の好きなヨットを作って、自分が走りたいコースを走るわけでしょ。これ以上楽しいことなんてありますか?」(堀江さん)

 たった一人で海に出ることへの恐怖はないのでしょうか。

 「基本的に何か初めてのことをやるときは怖いと思いますよ。でもね、それと同時に怖いと思わない強い人間になりたいという願望もあるわけですよ。最初は小鳥のようにブルブル震えてますよ(笑)。でも強烈な嵐でも2回、3回と経験していくうちに『ああ、これは以前に体験した程度の嵐だから大丈夫だな』と、強くなっていく自分を感じる。強くなりたいと思っているだけでは強くなれないですよね。それが何度も修羅場をくぐり抜けていくうちに、強くなっている自分を感じるんです」(堀江さん)。

 様々な経験を積むことでセーリングスキルが上がることはもちろん、これまで見えなかったものが見えてくるのだと堀江さんはいいます。

「ソーラーボートで太平洋を渡っているときに、直感的に『これは人力でもできるな』ということがわかってきた。何かをすることによって今まで見えてなかったものが見えてくるということがあるんです。行動すればするほどいろんなものが見えてくる」(堀江さん)。

 様々な経験を積むことで、堀江さんには次々と新しい可能性が見えてきてしまい、その可能性を追いかけてきた人生が、結果として前人未踏の大記録を次々と樹立することにつながったということのようです。

若いレーサーから見た堀江さんの偉業ってどんな感じ?

 日本セーリング界の最大のレジェンドともいえる堀江さんの人生を、同じセールボートである470級で、堀江さんとは全く異なるヨットレースというフィールドで活動しているヤマハセーリングチームの若い二人は、どのように捉えているのでしょう?

 クルーの盛田冬華は、ただひたすら驚きと畏敬の念しかないようです。

 「私と同じ年齢で、470級より少し大きいだけのヨットで太平洋を、しかもたった一人で渡ったなんて信じられません。私も高校のヨット部でヨットを始めましたが、太平洋横断なんて考えたこともなかったし、堀江さんの行動力と想像力はスゴイと思います。私自身、様々なセーリングのジャンルに興味はありますし、チャンスがあればクルージングも体験してみたいと思います。もし、自分が一人で太平洋横断をしなければならないとしたらですか? 適応能力はある方なので、ヨットの上で一人で過ごすことについてはそれほど辛くないかもしれませんが、予想していないトラブルが起きたり、終わりが見えない状態を自覚したときには、辛すぎて心が折れてしまうかもしれません」

 ヘルムスマンの髙山大智は、盛田とはちょっと違った受け止め方をしているようです。

 「堀江さんの偉業は本当にスゴいことだと思いますが、同じヨットとはいっても自分が取り組んでいるヨットレースとは全く異なるジャンルという感じで捉えていました。堀江さんの単独太平洋横断を自分がやるとしたら、一番辛いのはたった一人というところです。僕は人と話すのが好きなので、たった一人で3カ月も狭い船内にいるのは耐えられない。ただ、これまで僕が見たことのないような外洋の強風というところには、ちょっと興味があります。スポーツに限らず、自分は極限というか、MAXなものが好きなんですよ。例えば、パンケーキにメイプルシロップを掛けますよね。僕は一瓶掛けたらどうなるんだろうと、実際に掛けちゃったりするんです。ディンギーレースでは出会うことのない外洋の嵐というものを身をもって経験してみたいという気持ちはあります」

セーリングは競技以外にも多様な広がりを持った遊び

  これまで2人とも、同じヨットではあるものの全く別の世界のことだとして堀江さんの冒険を捉えていたようですが、実際に自分がやるとしたらという前提で思考してみると、思ってもみなかった興味が生まれてきたようです。
 もちろん、2人にとって、今はレースに全ての力を傾ける時期ではありますが、セーリングというスポーツは競技以外にも多様な広がりを持った遊びです。トップを目指して培ったスキルや経験が、また別ジャンルの楽しみやチャレンジにつながっていくのがセーリングのいいところなんだろうなと思います。

文:松本和久
タイトル写真:友田享助(舵社)/本文中写真:松本和久

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