目に焼き付いた、青い海の白帆の光景。 【We are Sailing!】
ヨットレースの取材では、海上に打たれたブイの近くでボートに乗ってゆらゆらと揺れながら、遠くからやってくるフリート(レース艇の集団)を待ち構えます。そのフリートの中から、ヤマハセーリングチームのセールを探し、何番手で走っているのかを数えます。風下のマークで待っているとき、スピネーカー(風を後ろから受けるときに使用するセール)の白地に青い「YAMAHA」の文字はとてもよく目立ちます。風上で待っているときはちょっとわかりにくいのですが、それでも日の丸とYAMAHAの文字が入ったメインセールを探します。
「おお、トップか。いいぞ。頑張れ」「シングルできたか。頑張れ」「なんであんなに遅れてるんだ。頑張れ」「次のレグで挽回しろ。頑張れ」
そして次のブイへと再びボートを走らせ、そこでフリートを待ち構えます。
様々なレースで、様々なシーンを目にしてきました。選手たちは調子の良いときも悪いときもありました。そのたびに「頑張れ、頑張れ、頑張れ」と心の中でつぶやき、念じながら、チーム専属のカメラマンやレポーターやたちはシャッターを切り、ビデオを回してきました。
テレビの中継もない、普通の人が観戦する機会も得られないヨットレースを間近でみることができ、そして特定のチームを応援していることは、とても恵まれたことであり、幸福な時間でもあります。そして、だからこそ、多くの人にセーリング競技の世界を伝えたいと願ってきました。
3月29日から4月6日にかけて、スペインのパルマ・デ・マヨルカで開催された「第53回プリンセスソフィア杯」は、国際大会のセーリング競技の全種目を対象に行われている伝統あるヨットレースです。そして、今回は日本の470級のセーラーにとっては、パリ大会の代表を決する最終選考の場でもありました。
選考レースはこのプリンセスソフィア杯が2戦目。初戦の世界選手権を終えた時点で磯崎/関が11ポイント差、髙山/盛田は22ポイント差で岡田奎樹/吉岡美帆を追う展開でした。ヨットレースでのポイント差は、ほぼそのまま順位の差です。逆転するには、とにかく、ひとつでも上の順位を目指すことが必要でした。
レースの結果、パリ大会の代表は岡田/吉岡のペアに決定しました。2人とも東京大会で470級の男女の代表だった(470級は東京大会まで男女別、パリ大会からミックス競技)、力も経験もある世界トップレベルのセーラーです。
ヤマハセーリングチームの磯崎哲也/関友里恵、髙山大智/盛田冬華は、相手の順位に関わらず、ひとつでも順位を上げなければならず、リスキーな戦術を採るしかありませんでした。
初日は強風の荒れ気味のレースでしたが、大半は風向が目まぐるしく変わる、難しいコンディションの中でのレース。ヤマハセーリングチームの4人は全力で闘い貫きましたが、結果をみれば完敗といえたかもしれません。
「これまで全力で闘ってきましたが、パリ大会の代表になるという目標は達成することができませんでしたが、皆さんの協力やサポートがあったからここまで来ることができました」と4人は口をそろえます。
2016年当時、高校を卒業したばかりの髙山大智は、東京大会のキャンペーンから8年間にわたって、様々な環境の変化に揉まれながら、チャレンジを続けてきました。調子を落としていた時期もありましたが、選考レースでは、一時は影を潜めていた強風での強さも復活し、光るシーンを何度も見せてくれました。
東京大会終了後に髙山とペアを組んだ盛田冬華も「強風大好き」な頼もしいクルーに成長しました。今や470級の女性クルーとしては世界でもトップクラスの、今後が楽しみなセーラーです。
磯崎哲也と関友里恵は1年半という短い期間でのキャンペーンとなりました。もともと世界トップクラスの実力を持つ磯崎に、クルーである関は必死に食らいついていきました。その努力の成果として「この一年間で、世界で最も成長したセーラーのひとりだと思います」と、磯崎に言わしめました。
パリ大会の470級の選考レースには日本から4チームが挑戦していましたが、磯崎/関はこの中で2番手の成績で、代表の補欠に内定しました。
「何があってもいいように、パリ大会まではしっかりと準備をして、要望があればセーリングパートナーとして練習にも参加します。セーリング競技の日本代表の選手たちを応援していきます」(磯崎)
世界中の海でYAMAHAの文字の入ったセールを揚げ、ひとつでも順位を上げようと、波と風に全力で食らいついていったヤマハセーリングチームのセーラーたちはわたしたちの誇りです。
頑張れ、頑張れ、頑張れ。
選手たちは応援に全力で応えてくれました。そして、パリ大会へのキャンペーンを応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
※Photos & Text: Gaku-T