昭和のファッションリーダーが作った“ヘミングウェイ” 【キャビンの棚】
ボートや釣りを愛する人にヘミングウェイのファンが多いのは、ヘミングウェイ自身が海を愛し、釣りを愛していたというエピソードによるところが多いのでしょう。彼の自然観、自然の中に身を置く人間の尊厳などが簡潔な表現の中にちりばめられた「老人と海」、ライフスタイルにおいてはキーウェストからキューバ時代の生活に憧れるファンは多いようです。
作詞家の故・安井かずみもヘミングウェイ作品を愛したひとりであったと伝えられています。
安井かずみは昭和歌謡曲の全盛に活躍した作詞家で、数々のヒット曲を産みだしてきました。70年代には小柳ルミ子の「私の城下町」、沢田研二の「危険なふたり」、浅田美代子の「赤い風船」、キャンディーズの「危い土曜日」、80年代になってからは竹内まりやの「不思議なピーチパイ」など数え上げればきりがありません。
安井かずみのパートナー、加藤和彦もまた、昭和の音楽家として卓越なる才能を発揮したひとりでした。ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドなどでの活動を通して、またソロとしても日本のミュージックシーンに大きな影響を残しています。
ここにご紹介する「パパ・ヘミングウェイ」は、全曲の詞を安井かずみが手がけた加藤和彦の5枚目のソロアルバムで1979年にリリースされました。
安井かずみと加藤和彦の2人は、音楽だけでなく、常に最先端をゆくライフスタイルという点でもよく知られ、一部の世代にとっては憧れの存在でした。
ヘミングウェイをテーマにアルバムを作ること自体、普通だったら思いもつかない発想であっただろうし、1979年という時代にスカやカプリソといった音楽要素を取り入れ、さらに坂本龍一、高橋幸宏、小原礼などの参加アーティストに高揚感を持たせるために、マイアミとバハマでレコーディングしたというエピソードにも驚きます。また、安井かずみの詞もバハマで書かれたものなんだそうです。
アルバムは秀逸です。“水平線に燃えながら沈む太陽が今日を過去にする〜”。ヘミングウェイの晩年を意識したと思われる「Memories」などは、ファンは涙を流してしまうかもしれません。
1979年。古い? 昭和が過ぎますか? いやいや、聴いてみてください。