限られた漁業に従事する責任と誇り〜駿河湾のサクラエビ漁 【ニッポンの魚獲り】
背筋に浮かぶほのかな桜色と独特の香りを特徴とし、食材として日本で人気のあるサクラエビ。ここ駿河湾の他に、東京湾や相模湾にも生息するものの、日本では静岡県だけが操業を許可されており、現在、流通している国産サクラエビは、その全てが「駿河湾産」となっています。
許可を受けて操業しているのは由比、蒲原、大井川の各漁港を基地とする60カ統(60組)、120隻。漁期は、3月末から6月初旬の「春漁」、10月末から12月末までの「秋漁」に分かれており、年間のうち操業できるのはおよそ4ヶ月のみ。
さらに、水揚げ金額を均等に分配するプール制が採用されるなど、資源保護と安定収入の双方を目指した管理型漁業が、試行錯誤を繰り返しながらも1960年代から行われています。
今回は数年前の取材となりますが、晩秋の駿河湾・焼津沖で行われた秋のサクラエビ漁の様子です。
操業期間が4ヶ月、と言っても、少しでも時化るとその日の操業は一斉に中止となるため「実際に操業できるのは半分ほどだ」と取材した「銀清丸」の船頭、岩辺嘉夫さんが説明してくれました。
操業もサクラエビに劣らず美しい
取材したこの日は、昼過ぎに操業実施の判断がなされ、午後の3時過ぎから次々とサクラエビ漁船が由比の港から出港していきました。出港のタイミングは4グループに分かれており、最後尾のグループだった「銀清丸」と「新八丸」は午後の3時45分に舫いを解き、焼津沖の漁場を目指しました。
幻想的な薄暮の海には、作業灯をつけた多くの漁船が行き交っていました。少し遅れて漁場に到着した「新八丸」と「銀清丸」もその美しい光景に加わり、魚探の反応を確かめながら網を入れるタイミングを見計らいます。
網船(網を搭載し巻き上げる役割)となるのは「新八丸」、そして手船は「銀清丸」。それぞれ6名が乗り込みますが、各船の役割分担はシーズンや年ごとに交代して行われます。
ポイントが見つかると網船から網の片側のロープを手船が引き取り、2艘引きの開始。その間にも魚探を見つめながら、サクラエビが群れをなす棚を見極め、それに合わせてロープの長さを調整するなど、作業の手を緩めません。30分ほど網を引いた後、2隻は網を巻き上げながら再び互いに船体を横付けし、その間に寄せられた網の中のサクラエビをポンプで手船の前部デッキまで吸い上げ、箱に移し替えていきます。
不漁に悩むも我慢と信念で乗り越える
取材したこの日は、豊漁でした。といっても漁師さんたちはその状態に安穏としているわけではありません。この駿河湾でサクラエビ漁を行う120隻の漁船とその乗組員たちは、特別に許可を得た、限られた者たちであり、その特権と同時に、消費者に新鮮な桜エビを届けるといった責任も伴うのです。
岩辺道徳さん、岩辺嘉夫さんをはじめ、この夜、海上で作業を続けていた一人一人には、そんな気概が満ちあふれていました。
ここ数年、駿河湾のサクラエビの歴史的な不漁がニュースでも報じられていましたが、2023年の春漁は回復傾向にあったそうです。
社会情勢に翻弄され中止となっていた恒例のサクラエビ祭りも、2023年は5年ぶりに開催されました。天候も不順な中での開催となりましたが、駿河湾のサクラエビに期待するたくさんの人が開催地の由比港を訪れ、サクラエビ料理を堪能したようです。
我慢と信念が求められる、管理型漁業は功を奏しています。