海洋国家としての誇りを取り戻せる、若者の冒険活劇 【キャビンの棚】
「海狼伝」「海王伝」に登場する笛太郎、「サムライの海」に登場する蘭次郎など、白石一郎の小説に登場する若者は、みんな、どことなく似ています。
野生児であり、何よりも海への憧れが強い若者たち。この「南海放浪記」の主人公・岡野文平もそうです。
元々は武家の出だった文平は若くして家を飛び出し、長崎で暮らしながら、いつか海を渡り、外国へ行きたいという夢を見ていました。そんなとき、朱印船に乗る機会が生まれ、東南アジアの国々を巡ることになります。
白石一郎は、「海のサムライたち」という著書の冒頭で次のように書いています。「四面環海という立地条件に恵まれながら、日本は、海を防壁としか考えない国家となった。日本人は、そろって海に背中を向け、狭い国内だけをみつめて過ごす習性を身につけた。そのためものの考え方も陸地中心に限定され、はるかに広い海を忘れてしまった」
だからこそ、海に憧憬を馳せ、海を渡った若者を好んで書いたのでしょう。それらの小説には、「日本とは本来、そういう若者の志を育む海洋国家であったはずだ」との思いが込められているのです。
いまや飛行機に乗って、誰もが気軽に海外へ行く時代ですが、やはり海を渡るという行為は特別です。たとえホームポートの隣の港へプレジャーボートで行くことでさえ冒険といえます。
最近は、海水浴すら経験のない子供が増えていると耳にしますが、「少年少女よ、海に出でよ」と声を上げたくなります。そして「日本は本来、海洋国家である」なんていう思いを、こんな小説を読んで取り戻したいと願う、いや、少なくとも白石一郎を読むと取り戻せるような気がします。
※この記事は過去の「Salty Life」の記事に加筆・修正して掲載しています。