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船に名前をつける、ということ。 【Column- 潮気、のようなもの】

 マリーナの係留桟橋に並ぶボートやヨット、漁港に浮かぶ漁船などを見ていると、それぞれの船には名前がついていることに気づく。そして、それらを見ていると、船名にはオーナーの海や船に対する拘りや愛情が見て取れたりする。センスがよく、カッコいい名前を見つけると、嬉しくなる。
 多くの人は、ボートやヨットは趣味性が強い乗り物だから名前をつけるのだと思うかもしれない。確かにその側面はあるかもしれないけれど、船舶法という日本の法律によって、船の「名前」を登録することになっているのだ。そして船側や船尾などの外から見やすい場所に、その船名を表示することが決まりとなっている。

 乗り物に名前をつける——。船だけではなく、自分の車やバイクに名前をつけることもあるだろう。かくいう私も、自分の車に名前をつけたことがある。でも、所詮はそのときの“ノリ”でつけるだけのものだから、すぐに忘れてしまう。実際の所、かつて自分の車にどのような名前をつけたか思い出せない。自分でつけた車の名前を後になって口にする機会もなかったと思う。

 これは海の先輩からの受け売りだが、もともと船に名前を付けるという行為は、大自然に対する畏れから始まったらしい。精度の高い天気予報を気軽に受け取れる現代とは異なり、太古から船乗りは厳しい海象に見舞われることも希ではなかったはずだ。また、海には人間の想像を超えた恐ろしい生き物が住んでいるとも信じられていた。海は人にとって厄介で、脅威だった。そうした海に出て行く際、人は船に命を預けることとなる。そして船に「名前」を付けることで、航海の安全を祈ったのだという。
 日本の船に、どちらかというと勇壮な名前が多いのはそのためだったのではないか。

 ヨーロッパの船には女性の名前が多いとも聞く。神話に出てくる女神や、カトリックで伝わるマリアなど女性の聖人=守護聖人の名を付けた船はよく見かける。これも海という脅威から守って欲しいという願いからだったのだろう。

むかし訪れたポルトガルの漁村では、さまざまな拘りの船名を見た。
「AVO DINA」とは「おばあちゃん」という意味らしい

 敬愛する作家、アーネスト・ヘミングウェイの愛艇の名は「Piral(ピラール)」といった。これはスペイン北東部の地方都市・サラゴサにある支柱(スペイン語でPiral)に建つ、聖母マリア像の呼び名である。彼もまた、女性守護者の名を愛艇につけたのであった。

 さて、小さな中古のモーターボートが私の所有物になることとなり、まもなく納艇の運びである。自分の船、いわゆる「マイボート」と言えば、かつて趣味で遊んでいた、シーホッパーという一人乗りのセーリングディンギーを所有して以来だ。そのシーホッパーにも名前をつけた記憶がうすらぼんやりとあるのだが、車と同じで、やはり思い出せない。必要性の無いネーミングという行為が、単なる“ノリ”だったからだろうと思う。

 ところが、今回は車やディンギーとは異なる。なにしろ「船籍」として名前を登録しなければならないのだ。船の名前は、人でいえば、戸籍に記載され、永劫に残るれっきとした、名前なのである。これまでのようにノリで名前をつけるわけにはいかない。こうなってくると、船に人格を感じてしまう。愛おしくなる。誰からも愛される素敵な名前をつけてやりたい。そして自分の夢や願いも込めたい。私には娘と息子が一人ずついて、人生において二度ほど命名の経験をしているが、実をいうと、そのとき以上に真剣になっているかもしれない。

マイボートの名前案はサリーとピラールがせめぎ合っている。
オーパ!は可愛くないからと家族から却下された

 あれこれと考えたあげく、5つほどの船名の案を候補に挙げ、それを船体に表記されたイメージしながらパソコンにタイプして、プリントしてから家族会議にかけてみた。
 そのうちの3つは妻と娘から可愛くないと却下された。勇壮なイメージ、守り神以外にも「可愛い」という基準もあるのか。

 残った二つの候補のうちのひとつはヘミングウェイの愛艇と同じ「Piral=ピラール」。そしてもう一つは、海辺の家族の暮らしを描いた大好きな絵本「海べのあさ」の登場人物であり、作者であるロバート・マックロスキーの実在した娘の名「Sally=サリー」である。

 悩む。大いに迷う。でも、まだ決まっていないうちから、こんなことを書き連ねていることからもおわかりいただけると思うが、私はいま、船に名前をつけるという作業のなかで大きな幸福を見つけ、大いに浮かれている。
 仕事どころではないのである。



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