漂流者追体験をバーチャル体験してみる。 【キャビンの棚】
表題の島は、伊豆諸島の「鳥島」のことです。本州からは600km足らず離れた—— 同諸島では最南の有人島である青ヶ島のさらに南200km余りの ——無人の火山島です。直径2.5kmほどの丸い小さな島には、かつてはアホウドリが大量に生息していましたが、明治期に羽毛布団のために乱獲され、火山噴火もあって、いっときは絶滅をあやしまれたこともある、そんな島です。
著者はナショナルジオグラフィック協会の後援を受けて、ダニエル・デフォーが小説『ロビンソン・クルーソー漂流記』のモデルとした実在の英国の船乗りの住居跡を見つけた実績もある探検家。前著には、その探検を記録した『ロビンソンの足あと 10年かけて漂流記の家を発見するまで』のほか、『浦島太郎はどこへ行ったのか』『間宮林蔵・探検家一代 海峡発見と北方民族』『12月25日の怪物 謎に満ちた「サンタクロース」の実像を追いかけて』などがあり、「物語を旅する」をテーマにさまざまな探検活動をしてきました。
それでは、鳥島の「物語」とは何でしょうか。それは表題の通り「漂流」です。以前にこの欄で紹介したことのあるジョン万次郎はじめ、鳥島へは多くの漂流者が流れ着きました。本書からの孫引きによると、記録上最古の1681年から1841年(ジョン万)までの約160年間に13回の事例が知られているそうです。これはもちろん生還できたから記録されたわけで、ほかにも島で朽ち果ててしまった漂流民もあったでしょう。
著者はその足跡をたどること、サバイバルを追体験することを、今回の探検の目的としました。
たとえば……。
1739年、八戸から江戸にもどる際に強風で小笠原に流れ着いた商船の船乗り17人は、小船に乗り換えて脱出を試みるも、再び、鳥島に流されます。ところがそこには、
“髪の毛やひげは伸び放題で、鳥の羽毛を身につけた鬼人のような姿”
をした男たちがいたのです。遠州(静岡県)の船乗り甚八ら3人が、地下水もない島で、おそらくアホウドリを食いながら19年2カ月も助けを待ってサバイバルしていたのでした。
半年でアメリカの捕鯨船に助けられたジョン万らも、雨露をしのぐ洞窟の周辺に、貝殻などかつて人が住んだ気配を見てとり、また、山頂には墓のようなものを発見します。
ほかの資料にも、
“洞窟には鍋や釜、鉄釘など生活道具の他、書き置きも残されてあった。漂流民は誰かが残していった道具を使って生き延び、島を離れる時は後から来る漂流者のために持てる限りの品を残していった。そのように代々の漂流者が同じ洞窟に身を寄せた例は世界でも見当たらない。”
著者ならずとも、〈わたしは彼らのことをもっと知りたいと思った〉という気になってしまうでしょう。さあ、本書を読んで、わたしたちもバーチャル追体験しましょう。
ところで、本書冒頭で、日本では探検や冒険がリスペクトされないということへの嘆きがつづられます。実際、著者は公の壁に何度も阻まれた経験があるようです。公の気質は民がつくります。せめて、われら船乗りは探検や冒険の精神的なパトロンでありたいものです。
蛇足。
鳥島の漂流民については、織田作之助『漂流』(1940年)、吉村昭『漂流』(1970年)があり、また、新田次郎『火の島』(1971年)は、同時代の台風観測の最前線の鳥島で、噴火寸前の緊迫した状況にある観測員たちを描いた実録小説です。